本当にビビる大木はボタンを押しすぎなのか

先日放送された「春のフジテレビ大反省会’04」にて、ビビる大木が「トリビアの泉」でへぇボタンを連打しすぎだという苦情が入っていた。

これは何も今に始まった文句ではなく、ゴールデン移行前の深夜時代から言われていたことであり、何を今更という話題なのかもしれない。ただ、自分は世間一般で認知されつつあるこの「大木へぇボタン連打しすぎ」という話、賛同できないのだ。今までは「大木のボタンを押し過ぎとかいう奴はちゃんと番組を見ていない」と勝手に思っていたのだが、あまりにこの話が認知されつつあるので今回はあらためて真正面から反対してみたいと思う。

いきなり断っておくが、データ的裏づけはない。だから間違った部分があるかもしれない。むしろ無いほうがおかしいとも言える。そんなわけでもし間違いがあったならばそこは遠慮なく指摘してほしい。その上でこれから自分の出した結論が大きく修正され、結果的に「大木はボタンを押しすぎだ」というのが認められれば、素直に「大木はボタンを押し過ぎ」であると認めたいと思う。だから、今回の試みはこの文章を読んで下さっている皆さんに対する挑戦です。些細な間違いでも、どんどん修正してもらいたい。また、賛同してくれる場合は掲示板に賛同の意見を示してくれると嬉しかったりして。反応がないのが一番寂しい。


そんなわけで、ここからが持論。

大木は本当にボタンを押し過ぎなのだろうか。自分がそもそもこの命題に対して疑問を持ったのは「深夜時代と現在の大木の『満へぇ』の出具合」に尽きる。深夜時代の大木はそれこそ「押し過ぎ」といわれても仕方がないくらいボタンを連打している。時にはVTRが出る前に満へぇ(20へぇ)を出すこともあったと記憶している。

深夜時代はその放送時間帯からも極めて下らなく、また下ネタも多く、勢いに乗ってボタンを連打することに何の違和感も感じない空気が形成されていたと考えられる。

それに対し、現在の大木はあまり満へぇを出さない。確かにボタンを押しているには押しているのだが、満へぇまで到達させないで15〜19あたりで止まっているのが殆どである。今週放送されたトリビアでも大木は一度も満へぇを出していなかったはずだ。

それでは、なぜ大木は満へぇを安易に出さなくなったのだろうか。

原因として考えられるのはふたつ。ひとつはゴールデン移行に伴うタモリの出現。タモリは滅多に高いへぇを出さないので、それが番組の良心みたいな扱いを受けている。それはそれで一理あるように思われるが、その一方で大木のように「ボタンを気持ちいいくらいバンバン叩く」という実は結構重要な役割(であると自分は考えている)がないがしろにされるという弊害を生み出した。その「厳しい評価が良心である」という、ゴールデン移行後の新たな空気が、大木のボタンに歯止めをかけている。

もうひとつは勿論風評だ。「押し過ぎ」だと。大木は何気にこの事を気にしているのではないだろうか。口では「本当に感心してボタンを連打したくなる」とは言っているものの、満へぇを出すまでボタンを軽快に叩き続けた昔の大木ではなく、そこに慎重さを持ちあわせた「妙に満へぇに対し警戒する大木」になってしまったのだ。

自分はこの番組において「へぇ」の値はそれほど重要ではないと思っているので、別にへぇのインフレが起きたところでそれほど何も思わない。しかし、なぜか「評価を厳しく」が良心になってしまったおかげで、大木の「ボタン連打」は失われてしまったと考えられる。

つまり、大木が深夜から言われていた「ボタン押し過ぎ」は、あくまで深夜時代だけの評であり、現在はこれに当てはまらないと自分は考えている。深夜時代はまだしも、未だに大木がボタンを押し過ぎであると思っている人は、ちゃんと「現在の」大木のボタン操作を見たことがあるのだろうか?もしかして「実は現在はゲスト(真中)のほうが大木より景気よくボタンを押している」ことに気付いていないのではないだろうか?そう思えてならないのだ。

一見大木はボタンを押し過ぎのように思える。しかし、よくよく考えてみたらそれほど押していないんだって。確認VTRの前に景気よく押しているからそう感じるに過ぎないだけだって。タモリが隣にいるから今でもちょっと目立つだけだが、実はMEGUMIとそんなに変わらないんだって。

結論として、大木に対する「ボタン押し過ぎ」は現在には当てはまらないどころか、その間違った感覚のせいで本来持ち合わせていた面白みが削がれているように思える。


自分はボタンを心置きなく連打する大木を見たい。