幻想は消えていく

3月31日。「笑っていいとも!」32年の歴史に幕を閉じ、その役目を終えた。


「いいとも」最終回。仕事が無駄に忙しかった(正確に言えば拘束時間が長かっただけでちっとも忙しくはなかったのだが、テレビを見ることが出来なかった)ので「いいとも」最終回および特番も録画したままずっと放置されていたのだが(部分としては見たのだけど)、この度ようやく全編見ることが出来たので感想を書いておきたい。


まずは、昼の放送の最終回だが、これはもうテレフォンのたけしに尽きた。「夜出ないからここで」と言わんばかりにたけし節を炸裂させた感謝状を読み上げたさまは圧巻。その他は「どうせ夜が最後だから」的な雰囲気が流れていた気がする。自分がそう思って見ていた、ということもあるんだろうけど。


夜の特番はもう各メディア各所で書かれている通り、さんま、ダウンタウンウンナンとんねるず爆笑問題、ナイナイが揃うという、おそらくバラエティで今後一同に集まることはないだろうメンバーが集結し、「いいとも」という番組が積み上げてきた価値を象徴したシーンとなった。その後のスピーチも笑いあり涙あり、と最後に相応しい内容だったように思う。放送一週間を過ぎ、出演した側からの裏話がたくさん登場している今自分が書くことは特にない。


ていうか、本音を言えば今更「いいとも」及びタモリに関する話なんて書くことない。正直、これを読んでいるあなたも内心ではもうウンザリしているのではないだろうか。少なくとも自分は割とウンザリしている。


最終回を見た感想も「晩年の『いいとも』は芸能人のための番組だったんだなあ」と思う部分が大きい。いかに「いいとも」という番組が、現出演者の、そして芸能界の拠り所として機能していたのかをこの1か月くらいで垣間見ることは出来た。しかし、「いいとも」が終了することを発表してから今の今まで自分は「終了が惜しいな」と思ったことは一度もない。


あの日の放送が、タモリが、「いいとも」の積み上げてきた歴史が凄いことなんてのはおそらく皆知っている。最近では「いいとも」終了に寄せてタモリに関する書籍がたくさん登場していた。自分も書店で見かけたことはあったものの、殆ど目を通さなかった。テレビを見る者として人並に、いや人並よりちょっと上くらいにタモリのことは好いていると思うのだが、「妙にタモリを祀り上げる空気」に違和感があったからかもしれない。そんなに世間はタモリが好きだったかなあ、と思える。おそらくここぞとばかりにタモリに一家言持っている人々が「いいとも」終了を機に立ち上がった結果なんだろうけど、彼らが盛り上がれば盛り上がるほど「じゃあなんでいいとも終わるんだよ」という気持ちが膨らんでいくばかりだ。


この話題が出てからずーーーーーーーーっと思っていたこと。なぜ「終わって当然」と言う人がテレビに登場しなかったのだろうか。もちろん放っておいても終わるものにケチをつける必要はないからだろう。芸能界を敵に回す必要もない。けど自分にはそれが最後まで違和感を拭えない部分だった。出演者は口々に「なぜ終わるんだ」というが、自明。面白くなかったからだ。自分が世間の意識と乖離しているのか、それとも芸能界における「いいとも」という、タモリという存在の尊大さがそれを拒否したのかは分からない。


最後まで見終えたら自分のこのもやもや感は晴れるのか、と思っていたが最後まで晴れることはなかった。番組の中身が本当に惜しまれていたら終わらないんだよやっぱり。もはや「タモリが凄い」「いいともという番組が積み上げてきたものが凄い」というだけで、今のいいともが素晴らしいだなんて誰も思っちゃいなかったんだ。最後の豪華さはあくまでボーナスのようなもの。出演者云々もそうだが、日々あれだけのハプニング性を持った放送が行われていたなら絶対に終わらなかったよこの番組は。


確実にテレビの一大分岐点ではあったと思う。しかしそれは「テレビの終焉」ではなく、「いいとも時代の終焉」であり、また新しい時代が来るだけだ。変に感傷的になることはなかろう。