大根なりの味がある

白い巨塔」が面白い。残すところあと3回(どうやら特別総集編を放送するのであと4回になったようだが)であるが、まだまだ見逃せない。ドラマを見て続きが待ち遠しいなんて経験は実に久々である。

白い巨塔の人気は原作のクオリティの高さも去ることながら、役者が素晴らしいことに尽きるのではないか。最近のドラマと言えば大した演技もしないのに見てくれだけがいい俳優が揃い、つまらん脚本につまらん芝居というものが増える一方だったが、白い巨塔はキャストが素晴らしく、見ていて少しも不安なところがない。重厚なドラマがそこにある。まあ田宮二郎版と比べるとうんぬんと言う方もおられるだろうが、現在のドラマ界において演技が出来てなおかつ数字が取れるドラマに仕上げるという点で行けば、ほぼ最高点をつけてもいいのではないかと自分では思うのだが、いかがなもんか。

さて、そんな上手い役者が揃っている中で、圧倒的な「ヘタレ演技」を見せている俳優が存在する。その名も伊藤英明。フェイスだけはいっちょ前なのだが、こと演技になると三流である。自分はフジテレビの渡辺和洋アナウンサーを「原稿の読める伊藤英明」と呼んでいるのだが、これは「伊藤英明並のルックスであり、なおかつ原稿が読める」という意味である。決してアナウンサーなのに演技も上手という意味ではない。裏を返せば伊藤英明は「ただかっこいいだけで原稿すら読めない」という意味である。

自分は白い巨塔が始まってから、「なぜ伊藤英明がこの豪華な役者陣に混じってキャスティングされたのか」にずっと疑問だった。しかし、後半の医療裁判編に入ってから、伊藤英明のキャスティングについて合点がいくようになった。後半になってからも正直、伊藤の演技は上手くない。でも、伊藤の苦悩っぷりがなんとなくドラマの表現しようとしているものと合致しているような気が自分ではするのだ。それはなぜか?

考えるに、キャスティングをしたプロデューサーは、伊藤英明の大根っぷりを買ったのではないだろうか。

伊藤英明は柳原医局員の役で、財前教授の指示を仰いだが結果的に患者が死亡し、そのことを隠して裁判で偽証することに苦悩するという非常に難しい役である。自分の信念と医局での自分の立場に板ばさみになって、最後まで苦悩するのだが、その難しい役を本来なら大根な伊藤英明に任せるわけがない。いや、自分なら任せないと言ったほうが誤解がなくていいだろう。

なのに、フジは伊藤英明を指名した。これはなぜなのか。それはおそらく伊藤の「演技」の部分ではなく、「大根」の部分に賭けたからだ。伊藤英明は演技が元々上手くないので、「苦悩する」という演技に本当に苦悩しているはずなのだ。どうすれば上手く柳原医局員という役を演じこなせるのか。そう考えた伊藤英明は演技に苦悩するあまり、演技をしながら実際に苦悩しているはずなのだ。それが偶然なのかはたまたキャストした側の思惑通りなのかはわからないが、「演技の苦悩」と「苦悩の演技」が上手く調和されることによって、よりリアルな苦悩や葛藤みたいなものを表現できているのではなか。

これは、下手に演技が上手かったりしたら出せない味のような気がする。勿論本当に演技が上手い役者なら何の問題もないのだが、ちょっと演技が上手いような役者に任せたら、小手先の苦悩を醸して終わっていたような気がする。でも、伊藤クラスまで下手であれば、逆にそれが本物の苦悩に近いものを表現できている気がするのだ。あくまで「気のせい」かもしれないが、自分は伊藤英明の大根っぷりがあってこその柳原医局員の苦悩であると思いたい。


今日の文章は、一応伊藤英明を大根呼ばわりしたものの、白い巨塔においてはちゃんと仕事をこなしたという意味で褒め称えた文章だったのだが、今週放送されたシーンに、大手薬局のお嬢様を強引にベッドに押し倒すというシーンがありました。もちろんこれには前後の関係を捉えた上でのちゃんとした意味があるシーンなのだが、フジテレビの中野アナウンサーとの関係が発覚した直後にあんなシーンとはまさに「なんだかなぁ」である。そこだけ迫真の演技かよ、伊藤。


オウム教祖死刑判決報道で
民放は「松本被告」なのにNHKだけ「麻原被告」だった。信者でもいるのか?