一度やってみたことがある


爆笑問題のバク天!」に「太田の一度はやってみたかった」というコーナーがある。このコーナーは視聴者が一度はやってみたかった「非常に下らない」ことを実際に行ってみた様子をVTRで放送するものである。で、今回放送されたもののなかに、「遊園地のコーヒーカップで回れるだけ回る」というものがあった。コーヒーカップの乗り物は、中心のテーブルを自分で回すことにより回転数が増し、よりスピーディーに回るのだが、それによってどれだけ回るかという実験だった。結果的に相当な数回ったのだが、乗っていた実験者が気持ち悪くなってしまい最後には「やらなきゃよかった」ともらしてVTRは終了するのだった。

まあ、VTRでコーヒーカップが勢いよく回っている映像以外は、特に面白い部分もなかったのだが、それは大体「気持ちが悪くなる」というオチが平凡だったからに過ぎない。実際、たくさん回ったところで大して面白くも無い。

つまりは、全国ネットで放送するまでもない他愛も無いネタだったという結論に落ち着くのだが、自分はこのネタかなり感慨深げに見てしまった。なぜか。それは自分も同じような体験をして、しかも番組で放送されたネタより悲惨なオチを迎えたことがあるからだ。


遡ること十数年前、まだ自分が小学校低学年だったときの話。自分は友達と友達の家族で遊園地に遊びに来ていた。遊園地に友達の家族ぐるみで行くことはそれほど珍しいことではなかったが、それでも小学生ですから遊園地に行けば自然とテンションは上がるものだ。自分もご多分に漏れずテンションが妙に高揚していた。

で、その遊園地にも「コーヒーカップ」はちゃんと存在していた。当時自分の中では、コーヒーカップという乗り物はただ単に同じ場所をグルグル回っているだけの大した面白みのない乗り物だという認識があった。ただ、自分でコーヒーカップに乗ったことはなく、傍から見てそう思っていただけなのではあるが。

そんなことは全く気にも留めず遊園地で遊んでいた自分はテンションが上がっていたのだが、ふとあることが頭の中に浮かんだのである。

「あ、そういえば『ちびまる子ちゃん』でヒロシ(まる子の父親)が『コーヒーカップには通の乗り方があるんだぜ』と言っていたなぁ。確か、まんなかについているテーブルをグルグル回すんだったよな。よし、ここいらひとつ『通の乗り方』とやらをやってみて友人に見せ付けてやるか」

というわけで、自分はこのコーヒーカップに乗ろうと友達を誘ったのだ。遊園地も閉園間際ということもあり、もう遊園地も混んでいなくコーヒーカップも自分たちを除いて殆ど乗る人はいなかった。自分と友人は別々のコーヒーカップに乗り込む。そこの遊園地では人が乗り込めるようにコーヒーカップの一部がない開かれた形であり、人が乗り込むとそこに鎖をつけるだけのものだった。これが後に悲劇を産む事になるのだが。

コーヒーカップは動き出した。自分はヒロシの発言に忠実に、友人に「これが通の乗り方だぞ」と言って、まんなかについているテーブルを勢いよくグルグルと回し始めた。最初はスピードが乗ってきて得意げだったものの、ここで小学生の自分に生じたふたつの見込み違いが起きた。一つは今まで乗ったことがなかったコーヒーカップの回転の勢いが想像以上に速かったこと。もうひとつは、その想像以上の速さに輪をかけるように回したテーブルによってまさか目が回るだなんて思っていなかったこと。このふたつの見込み違いが自分の身に降りかかってきたとき、コーヒーカップを甘く見ていたあまりに無力な小学生の自分は、目をまわし気持ちが悪くなってきた。しかもいっこうにコーヒーカップのスピードは落ちない。

なんとか必死にコーヒーカップのスピードを落とそうと、まんなかのテーブルを止めようとしてテーブルにしがみつこうとした。しかし、スピードがついていたカップは無常にも自分の体を振り払うように遠心力を発揮する。「やばい」、そう思った瞬間だった。自分は鎖のストッパーを突き破ってカップの外に投げ出されたのだった。

自分が投げ出されるやいなや、コーヒーカップは緊急停止。すぐさま係員が助けにきた。自分は目が回った気持ち悪さと、コーヒーカップから投げ出されたという事実に気が動転していて、どのような説明をしたかは覚えていないが、近くで見ていた自分の母親が事情を説明して事なきを得たようだ。その後、友人は気を使ったのかコーヒーカップの話題はすることなくその日は家路についたのだが、きっと友人は心配したのではなく笑いをこらえていたのだろう。

おそらく日本中探してもコーヒーカップから放り出されたのは自分を含めて数えるほどしかいないであろう。しかもかかっていた鎖を遠心力でふっとばすほどの勢いで。

あれから自分は一度もコーヒーカップに乗った記憶はない。トラウマである。コーヒーカップ自体がトラウマであるのと同時に、こんなにこっぱずかしい話を意識的に封印したかったのだ。しかし、この放送を見て記憶の扉が再び開いたのである。なんてことのない話題が時として人の封印していた記憶の扉を開くことがあります。そんなわけで、もし管理人に会うことがあったらコーヒーカップの話題だけは避けてください。