自分を疑え

貫地谷しほりが一般男性との結婚を発表。

 

まずこのニュースを知ったときに考えたのは「あれ?この一般男性って自分じゃないのか?」ということ。この時点で「こいつ頭がおかしい」と思った人、たぶん正解。でも続ける。

 

「一般男性」とは何だろう。芸能ニュースにおける「一般男性」とは「芸能人じゃない」くらいの意味だ。だから「業界人」ではあるけれど「表に出る芸能人」じゃなければ「一般男性」と表記される。だから「一般男性」でありながらそれは業界人であったりIT社長であったりする可能性もあるが、それらを全部ひっくるめて「一般男性」である。「一般男性」とは言うものの、決して「一般人」とは言ってない。

 

ただ、矛盾しているようであるが「一般男性」と言うからには、「一般人」に過ぎない自分も含まれていてしかるべきだ。つうことは、貫地谷さんに会った事など一度もないけど、以前から尻相撲をすることを切に願っているだけの自分も言うなれば「一般男性」であり、実は自分が気付いてないだけで、この「一般男性」とは自分なのではないか。今そんな気がする。いやそうだろう間違いない。ただ貫地谷さんからの連絡は一切ない。こんな発表していいとも許可していない。でも多分自分だ。おめでとう自分。

 

その一方でカトパンことフリーアナの加藤綾子EXILE三代目J SOUL BROTHERSのリーダーでもあるNAOTOと交際していることを発表した。まあ交際を発表するってのもよく分からない制度ではありますが、取材されてるんだからしょうがない。

 

個人的にカトパンはそんなに興味がない。自分は女子アナという生物に大した興味がないことが大きいのだけど、カトパンさんに関しては「美人で乳でかい」という完全にしょうもない覚え方しかしていない。つまりはその程度の関心でしかない。

 

しかしそんなカトパンさんが交際しているのを発表したということを考えるにつけ、自分はもしかしてEXILEのNAOTOの可能性があるのではないか、とちょっと考え直すことにしたんですよね。今日の文章についてこれない人が正常です。けど付いてきている人もいるはずなので続けます。

 

これを読んでいる人もよくよく考えてほしいのですが、自分がEXILEのNAOTOではないと言い切れる人はどのくらいいるんだろう。そんなに自分のアイデンティティに自信があるのだろうか。自分なんていう存在はそんなに強固だろうか。今取り巻いている環境は全て偽りではないのか、なんて考えたことはないか。今自分は「自分の人生」と思わしきものを生きてはいるが、実はそれは全てまやかしであり、本当の自分がEXILEのNAOTOであり、カトパンと付き合っている可能性がゼロだと言い切れるのか。さあどうだろう。自分は自分にそこまでの確固たるアイデンティティはない。

 

ということは、自分がNAOTOである可能性は十分にある。むしろNAOTOなのではないか、という気すらする。いやあそうだろう。自分はEXILE一族としてライブで踊っているし、カトパンの乳も自由自在に揉んでいるし、ベッドでRISING SUN的なこともしているはずだ。実感はまるでない。しかしそうではないと言い切れない。

 

以上の話をまとめれば、自分は「一般男性」として貫地谷しほりの旦那である可能性が高く、また自分のアイデンティティを疑えば自分はEXILEのNAOTOである可能性もあり、結婚をしながらカトパンと付き合っているという罪深い人間である、という結論に達しました。

 

 

 

 

 

言うだけは自由なのよ、日本は。屁をこいて寝よう。