裏の裏は表ということか

NHKの今年の大河ドラマである「新選組!」を見たのだが、ちとがっかりした。なぜか。普通すぎてネタにならんじゃないか。

誤解のないように言い直しておくが、ドラマの内容に不満があったわけではない。ちゃんとドラマは面白かった(といってもこの時点ではそんなにドラマ自体に盛り上がりがあるわけではないのだが)し、たぶん来週からも引き続けて見る。

ただ、これが例年の大河であったりすればOKなのかもしれないが、如何せん今年の大河の脚本は三谷幸喜。三谷ドラマのファンとしては「竜馬におまかせ!」(日テレで放送した三谷脚本のドラマ。坂本竜馬にDT浜田を据え、反町隆史らの出演で話題にはなったが内容はさっぱり面白くなかった)の幻影がよぎりながらも、これだけNHKとしても三谷本人としても気合の入った番宣をやってるもんだから、嫌でも気合が入るじゃないですか。

でまあ、放送された大河はなんてことのない普通のドラマであった。いや、正確に言えば「普通の大河らしきドラマ」である。自分は大河ドラマというものを一度たりともまともに見た記憶がなく、昨年の「武蔵」も5分くらいみてつまんなかったので止めてしまった。だもんで、これを「普通の大河」と定義していいもんなのか若干の不安はあるものの、おそらく「大河らしい大河」ドラマだったのではないかと推測される、くらいな言い方が適切であろうか。

ここでお気づきかもしれないが、なぜ自分が「普段見た事のない大河ドラマ」を今年になって見ようと思い始めたかといえば、やはり三谷幸喜脚本という部分に惹かれてのことである。そうでなければやっぱり今年も見ていないはずだ。しかし、「三谷なら何かやってくれそうだ」との期待の意味も込めて今年は見てみようと思ったわけである。

なのに、見てみれば驚くほど普通の大河ドラマ。ちっとも三谷幸喜らしさが感じられない。唯一感じられるのはそのキャスティングだけだ。キャスティングだけは見事に三谷幸喜好みの役者で固められていること以外は、実にジェームス三木が書いていても自分にはその違いがわからない、と言ったところである。

こういう思いをしている人は意外と多いのではなかろうか。三谷幸喜を期待したのに、放送されたドラマは全く三谷らしくないような普通の大河。これは果たして視聴者を呼び込める結果に繋がるのだろうか?

きっとNHKとしても、三谷幸喜に脚本を依頼したときは、最近の不振にあえぐ大河に何か風穴を一発開けてくれるのではないか、という期待の元に依頼したのではないかと思われる。そしてそのNHKが期待していたような大河を求めて普段大河を見なかったような自分のような視聴者をも取り込み、更に従来の大河ファンまで楽しめるような内容に、とNHKは思っていたはずである。

しかし、蓋を開けてみれば、元々大河が好きな三谷が意図するところは「自分が見たいと思うような大河」であった。説明すれば、三谷が「自分が見たいと思うような大河」とは、自分が今まで楽しんできた大河、つまりは昨今の「若者をターゲットにしようとした大河」ではなく、従来の「あるべき姿の大河」に戻そうということであった。なんてことはない。NHKの「今までにない大河」という裏をかいた思惑に対し、三谷は更にその裏をかいたわけだ。裏の裏は表、つまりはどストレートな大河が出てきたのは必然だったわけである。


とまあ、アタマではこのような仕組みを事前情報などによって理解はしていたものの、それでも「三谷ならそうはいっても何かやってくれんだろ」というほのかな期待はあったわけですよ。しかし放送されたのはやはりどストレートな大河。そのあんまりにあんまり過ぎる展開に自分はちょっとがっかりしてしまったわけである。これがいかにも三谷流であればそれこそこの文章のネタとして成立するわけだったし。

ただ大河の放送は1年もあるので、この先どう転ぶかはわからない。このあと数字的にヤバくなってきたら途中から暴走という展開だってないわけではないので、そっちに転がることを期待しつつも、三谷が描く「どストレートな大河」を満喫すべきなんだろうという結論が正しいんだろうな。


ひとつだけ気になったのは八嶋智人の口調だなぁ。みんなそれなりに重々しくやってたのに、ひとりだけちょっと軽妙すぎやしねえか?と思いつつ。まあそれもアリかなと思ったりそうでなかったりです。とにもかくにも自分はこの「新選組!」に期待をしているわけです。