期待に応える、とは

期待に応えるというのは、難しいものである。昨日の中央競馬のG1「スプリンターズS」でも、1番人気のビリーヴは惜しくも2着に敗れた。これは、単勝式(1着を当てる)馬券を買っていた人にとってみれば、ビリーヴは期待に応えることが出来なかったということである。

勝負ごとの世界は勿論、「一般人が期待していること」にその対象が応えるというのはそれほど難しいことではあるが、期待に応えたときは「それで当たり前」という結果を取られてしまうことがままある。競馬でも「1番人気なんだから勝って当たり前」と見られる。しかし、一番人気ほど勝って当たり前であり勝つのが難しいことはご存知の通り。

さて、今日のテーマであるが、週末、そして週明けにかけて見事に期待に応えた人物が2人出現した。まずは窪塚洋介である。待望の第1子が誕生したようだが、そのときには

「ピースな愛のバイブスでポジティブな感じでお願いします」

という珍言、もとい名言を残していただきました。

意訳をすれば「今日も平和でもないのに平和ボケしている腐れ日本人どもだが、俺は常に危機感持ってる。で、(この言い回し重要)Hのとき自分の妻に「愛のバイブス」こと自分の愚息を突っ込んだらゴムつけてたはずなのに子供できちゃったから、まあ「子孫を残すのは今後の日本にとって大事だ」というポジティブな感じで出来た娘ってことにしておいてください。」みたいな感じでしょうか。

そして、先日行われたトークショーでは窪塚先生の名言が連発である。全てスポニチの記事からの引用。

「僕も去年、幽体離脱とか(空飛ぶ)円盤に遭ったりした」

「凄い感動して、体がしびれて(マンガ“ドラゴンボール” の)スーパーサイヤ人になっちゃった気分で…。いつの間にか物凄い涙が出てきて、物凄い心がきれいになった感じになりました」

「見える世界と見えない世界、実体験があっての現実世界で…。やっぱり気が付くことの必然性、よりよくなるためのガイダンスとしてそういうもの(神秘体験)が起こっていて…」

自分はこんな窪塚先生を偉いと思う。なぜなら、見事にマスコミの窪塚イカレてる説の期待に応える発言をするという離れ業をいとも簡単にやってのけるからである。これを絶賛しないでどうする。もはやこの発言がワザとなのか本気なのかなんてのはどうでもよく、こっちの期待に応えてくれるというだけで満足。

ここまで来ればあとは窪塚先生に待っているのはおクスリによる逮捕しかないのだけども、その際も頑なに「円盤が…円盤が…」と呟いていてほしいです。そして最終的に「このミイラは甦る」みたいな発言までしていただければ本望でございます。

そして週明けて本日、またもや期待に応えてくれるひとりの漢(おとこ)が出現した。それは石橋広宣容疑者(22)である。ご存知だと思うが、千葉で起きた16歳少女殺人事件の犯人である。そして、その被害者の戸籍上の夫。

事件の概要を簡潔に説明すると、16歳の少女石橋裕子さんが墓地付近で重さ60キロあまりの石材で殴られ殺された後に死体に放火されていたという残虐極まりない事件であり、その事件のカギを握っていたのが、彼女をバイト先の飲食店まで迎えに行って近所の駅まで送り届けたという「戸籍上の夫」こと石橋広宣容疑者なのであった。石橋はマスコミのインタビューに答えており、各局とも「顔にモザイクが入った形でのインタビュー」を放送していた。

でまあ、いろいろな報道がなされたわけだが、きっとこの報道を見た日本人の95%くらいはこう思っていたはず。

あの夫が犯人じゃねえの?

と。間違いない。ウチの家族では少なくとも皆思っていた。勿論自分も。だって、どう考えても怪しすぎる、あの夫。なぜ送り届けるときに店の近所の彼女ではなくその飲食店のママから送り届けたのか?そしてなぜ「直接自宅に送り届けなかったのか」という疑問が当然のように出てくる。その疑問に答えることが出来ないのもそのはず、「空白の3時間」とされていた時間に夫のアリバイが崩れたらしく、それを追及されるとあっさり自白したようだ。アホ丸出しである。

で、丸出しといえばマスコミのモザイクも「夫」から「容疑者」に変わったため顔丸出し報道と相成った。まあ、こうなることはマスコミも重々承知だった模様で、「顔を取らないでのインタビュー」が条件だったならば、はじめから顔を写さなければいいわけなのに(モザイクにも処理時間等の手間がかかることを考えれば、はじめから写さないほうが合理的である)、顔を映してインタビューしていたのは「こいつ、後に顔出しで使うんだろうな」という雰囲気が現場にもあったからに違いないのである。

勿論、マスコミにはそういう考え方が常識となっているのかもしれない。後にインタビューした人物が犯罪者であるということはままあるからだ。それにしても、今回の報道を見る限りでは、マスコミ各社はあのモザイクをハナっからつけないで放送する時期を見計らっていたような気がしてならない。つまり、石橋容疑者は世間の期待とマスコミの期待を一身に背負っての逮捕となったわけである。
計らずも石橋容疑者は世間の期待に応えてしまったわけだ。本人は応えるつもりなど毛頭なかっただろうが。期待に応えようと思っている人ほど応えるのが難しいが、その逆に期待に応えるつもりが無い人ほと期待に応えるというのは案外よく起こる話だ。