気恥ずかしさレジスタンス

堂本剛のソロアーティスト名義が「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」(エンドリケリ エンドリケリ)から「244 ENDLI-x」(ツヨシ エンドリックス)に改名される。


わたしゃ堂本剛さんが取り立てて好きでも嫌いでもないんですけど、ことエンドリさん関連の活動についてははっきりと「ついていけない」と表明します。それはいわば「堂本剛さんにゃあもうついていけない」と言ってるのと同義なんでしょうけども。堂本剛として嫌いな部分があるとすれば妙にお笑いに走ってみてそれが自分の思っている以上に空回りしていること(けど周りはあまり指摘しないしできない)なんですが、エンドリさんの活動はそれとは次元が違う「ついていけない」を発揮してます。


もしかしたら音楽性は評価されているのかもしれない。いや単にファンが褒め称えているだけで音楽性も評価されていないのかもしれないが、詳しいことを知らないのでその点を自分は批評できない。しかし「エンドリさん」という堂本剛のあのあり方に関しては「なんだか病んでますよね」と言うことは出来る。むしろいい意味でも悪い意味でも半ば病んでないとあのようなことにはならないと確信している。


そんなエンドリさんが「244 ENDLI-x」に改名ときたもんだ。これはさらに病が悪化したな、と理屈ではなく本能が自分にそう知らせてくれました。改名の理由について本人が公式HPで色々と語っているようだけども、こういう改名をするときにあれこれと理由をつけたがるのは既に病んでいることの証左に他ならないわけで(改名の理由なんて「気まぐれ」が殆どだと思う。というかそれ以外のもったいぶった理由なんて自分は大抵こじつけだと思っている)、より「何言ってんだ」感が強くて良い。


自分は以前から「期待に応える人」というのが好きだということを書いている。最近は大人しくなってしまったが、ひところの中村獅童の「こちらの思っていることを全てやってくれる」という期待の応えっぷりというのは自分からすればたまらない面白さがあった。ここでも度々ネタにする押尾先生もこちらの期待に応えてくれる数少ない人物である。エンドリさんこと堂本剛も「“病んでいる”を見事なまでに体現している人」という期待にちゃんと応えてくれる点では好きな人物といえる。


しかしその一方で自分はエンドリさんのような活動を堂々と行える人に対する「気恥ずかしさ」と闘っているような気がする。無論これは自分だけではなく世間の人が、であると思うが。エンドリさんのように自分の思っていることを何の恥ずかしげもなく素直に表現できるのは才能であると思う。間違ってはいけないが、エンドリさんにアーティスティックな才能があるとは言っていない。あくまで「自分の思っていることを何の恥ずかしげもなく表現できる」という才能だ。芸術家には欠かせない才能であると思うが、かといってこれは芸術家のための必要条件ではなく十分条件である。これが出来る人でないと芸術家にはなれないが、これが出来る人が必ずしも芸術家ではない。


244 ENDLI-x」という名前、これ素晴らしいですよ。自分の名前を数字で表現してるんですから。かのイラストレーター中村満こと「326」以来の笑、いや衝撃ですね。素直に「TSUYOSHI」でも良かったんじゃないかと思うんですが、ここは数字ですよね。なぜなら表記が長いから。改名前の名前の長ったらしさに自分でも辟易していたんでしょうね。だったら最初からそんな名前にするなよ、というところは華麗にスルーですよ。


自分からすれば全身全霊「244 ENDLI-x」という名前は恥ずかしい。改名前のエンドリさんのほうがまだマシかと思う。それでもエンドリさんが改名するのは、この名前がかっこ悪くないという美意識を持ち合わせているか、恥ずかしいと思っていてもこれをやることが正しい(自分の信念に適っている)と思っているからだろう。おそらく後者なのだろうが、それが前者だろうが後者だろうが自分にはやっぱり真似出来ない。おそらくこの自我を通すことが出来るある種の傲慢さが人間生きていくうえで必要なんだと思う。アーティストってのは特にこれが求められる職業なんだと思う。しかし自分はどうしてもどう考えてもこの傲慢さが恥ずかしくて仕方がない。


自分のやっていることだって実はエンドリさんと何ら変わりがない「しょっぱい自己満足」であるのは自覚している。しかしエンドリさんと自分の間にちょっとだけ違いがあるとすれば、そこに一抹の気恥ずかしさを伴っているかいないか、だと思うわけで。その差が「244 ENDLI-x」という堂々たる自己主張の強い名前に表れているような気がする。この名前には一切の気恥ずかしさならびに迷いがない。ついにエンドリさんは彼岸へ行ってしまったなあ、と遠い目をして自分も表記を「8108(ハトヤ)」に一日だけしてみることで、エンドリさんの気分を味わうとともに合掌するだけだ。さらばエンドリさん。*1

*1:この後「剛紫」(つよし)と改名することになるが、それはまた別の話