なんでも、お笑いコンビ「ココリコ」の遠藤章造とタレントの千秋が結婚するようだ。今日婚姻届を出すというのだから、もうこの時点では結婚しているのかもしれない。まあそんなことはどうでもいいのだ。今日のポイントは、ワイドショーでこの二人の結婚が紹介されるときに、遠藤の場合は「ココリコ」という肩書きがつくが、千秋の場合は
「ポケットビスケッツ」の千秋さん
と紹介されることに違和感を持たざるを得ない。だって、ポケビっていうのは既に過去のものなんじゃないの?という認識が自分の中にはあるからだ。ポケビが誕生した番組「ウリナリ!」も既に終わっているし、確か番組内でも千秋がソロデビューするという運びで企画そのものが終わっているはずである。しかし
「元ポケットビスケッツ」の千秋さん
にはなってないんだなあ。これは単純に千秋を表現する記号として用いられているのだとは思う。千秋を一言で説明する枕詞が「ポケットビスケッツ」であることも理解できる。ただ、やっぱり「元」は「元」であり、そこらへんの情報を曖昧にしておくことに違和感が拭えない。例えば、現在進行形で
「モーニング娘。の中澤裕子さん」
は、おかしいじゃない。やっぱり「元」がつくもん。いや、モー娘。は未だに活動しているという違いはあれども、だったら千秋にいまだに「ポケットビスケッツ」としての活動があるかのようだし。例えば20年後、モー娘。が解散していて、中澤がなにか芸能ニュースに上るようなことがあれば、「元」がつくかつかないかはやっぱり微妙な判定になるんじゃないかなあ?全員「元」だけど、途中脱退の人はどうなるのかで事務所ともめるんでしょうかねぇ?
そんなわけで、「元」という言葉のつけ方ってのは判断が難しいんじゃないかというお話。これは何か基準ってのがあるんでしょうか。
最後に全然関係ないし、ありえないけど
「元元ちとせ」(もとはじめちとせ)
ってのは物凄くイヤ。