実効支配

日テレで放送された「ノンレムの窓」がとても「世にも奇妙な物語」でしたね。おそらく見た人が全員思っている感想でしょうけども。

 

本当は別のこと書くつもりだったのですが(「夜もヒッパレ」の話ですが、そのうち書きます)、ちょっとあまりに「世にも」しすぎていたので書かざるを得ないですね。

 

世にも奇妙な物語」はフジテレビで放送されている人気オムニバスドラマシリーズ。自分のブログのタグに「世にも」というものが実はあるのですが、物心ついたときから見ている自分のテレビ視聴の核になっている番組でもある。ちょっと不思議だったりホラーだったり、その手のオムニバスドラマはもはや「世にも」の専売特許でしかない。

 

この「世にも」が長年守り続けている「不思議オムニバスドラマ領域」は一度、日テレの「週刊ストーリーランド」において侵略された過去がある。しかしこちらはあくまで「バラエティ」の枠組みであり「アニメ」であったので、一応の棲み分けがされていたし、どちらかといえばプロ野球中継で潰れなかったときの番組でもあった(今では信じられない話だろうが、当時はまだプロ野球中継がゴールデンの番組を平気でつぶす時代でした)ので、さほど気にもされていなかった。いや自分は気にしていなかったというのが正しいか。

 

んでまあ今回の「ノンレムの窓」だ。ストーリーテラー的な立場にバカリズムがいる。タモリと大きく違うのは、バカリズム本人が脚本も手掛けているところだ。いうなれば「バカリズム不思議ワールド」的な感じだろうか。しかし誰が何と言おうとこれは「世にも」の枠組みだ。バカリズムも「世にも」と無縁ではない。自分のコントを原作にしたネタ「来世不動産」がかつて世にもでドラマ化されている。バカリズム本人も「これは世にもだよなあ」と思いながらやっているんだとは思う。

 

あまりに長いこと「世にも」がここらへんの領域を独占していたので、他がマネしようと思ってもなかなか難しかった。しかしバカリズムという「脚本自分で出来ちゃうし出演も出来る人」が自ら書いてやるならば、それはもう「バカリズムでしか出来ないもの」であり、「世にも」でありながら「世にも」じゃあない、という強弁がまかり通ってしまうところに日テレの狡さを感じる。

 

でも放送された3本「私達の恋」は「自分も」系であり、「解約ゲーム」は理不尽コメディ系であり、「カスタマイズ」もコメディ系ではあるが、オチにバカリズムイズムを感じる部分もある。ただやっぱり大枠でいけば「世にも」の掌の中にはいるよなあ、と感じる。これは仕方ない。

 

これ系のドラマは全て「世にも」じゃなければいけないという理由もない。だから日テレがバカリズムを擁してこういうことをやるのは別に問題はないんだけど、日テレの「なし崩しにここの領域を実効支配してやろう」くらいの野望が見え隠れしている気がして、「世にも」原理主義者の自分からすれば若干ザワザワはしますわな。

 

どのくらいのザワザワ感かといえば、別にもう見る手段なんていくらでもあるからいいといえばいいんですけど、地元テレ朝系列で「水曜どうでしょう」でもお馴染みHTBが「テレビ千鳥」の放送をやめたことと同じくらいですかね。もうここらへんの気持ちも誰にも理解されないような気もするんですが、オジサンなので言い続けるようにしたいと思います。*1

 

日テレは時に「なんだそれ」と思うことやるので油断できないですよね。つい最近堺雅人のドラマでそう思ったのは気のせいだったかと思ったのですが、連続でそういうことやってきたのでやっぱり気のせいじゃないなと思い直しました。日テレは堺雅人でスケベ心出しすぎなんだよなあ。

 

 

*1:追記:HTBでも遅れて放送が始まりました