狭まる選TAXI

素敵な選TAXI」を見ました。竹野内豊主演。


過去に戻ることが出来る「選TAXI」に乗ることで、自分の選択をやり直したらどうなる、というドラマ。そのTAXI運転手を竹野内がやっているのだが、それよりなにより、このドラマの脚本が自身も出演しているバカリズムであるのが最大の特徴。


升野英知ことバカリズムは過去に「世にも奇妙な物語」で、自身のコントを原作にしたドラマの脚本を手がけたことがある。その時も「やっぱり自分でコント書いているだけあって、話の運び方がうまいなあ」と思ったものだ。オチに至るまでの起承転結がちゃんとしている。そういう経緯もあっての今回の連ドラ脚本家デビューなのだろうが、自身のラジオでも語っていたが、かなり忙しいであろうスケジュールの合間を縫って、よく脚本がかけるもんだなあ、と思う。


んで、ドラマの初回がどうだったかといえば、「よくできているなあ」だ。


「過去に戻りやり直すことが出来たら」という題材は、ドラマとしては特別珍しくもない。かつてフジは連ドラとして放送していた「世にも奇妙な物語」に代わるドラマとして一度「if もしも」を放送したことがある。*1その中身は「提示された二つの選択肢、それぞれどのような結末が待っているのか」というもの。なかでも岩井俊二が監督を務めた「打ち上げ花火、下から見るか横から見るか」は再編集され映画公開までされた非常に有名な一本である。ふたつの選択肢が進む先のオチは、必ずしもどちらが良くてどちらが悪いということではなかった。もちろんそのタイプのオチもあるんだけど、どちらを選んでも結局同じだとか、一見悪そうな選択肢が良かっただとか、この手の話のあらゆるパターンを網羅していたように思う。



素敵な選TAXI」はこれから「この手の話のパターン」の選択肢をつぶしていく作業になるのだろう。



初回の話はいわゆる「相手も」パターンである。プロポーズをするはずが別れ話になったカップルの男性側が時間を戻してやり直そうとする、という導入から話が予期せぬ方向に転び(ここらへんの流れの巧さは「さすが」と思う)、結局最後は女性側が時間を戻してうまくいく、というもの。



自分は「世にも」の内容の覚書を書くようにしており(去年の秋の放送からはまだHDの肥やしになってはいますが、いずれ見るし書きます)、書く際には大雑把に「○○」パターンという風に分類している。「相手も」パターンは、主人公目線で不思議な現象(今回で言えば「時間が戻り、やり直す」)が起き、話が進むのだけども、最終的にその場で起きている不思議な現象を相手も利用している、というもの。大抵の場合「不思議な現象」というのは自分だけが享受できていると思いがちであるが、実際には自分だけではない、というパターンは、この手の話では王道である。もちろんパターンとしては王道でも、伏線の張り方だとか、話の流れだとかでドラマの面白さは大きく変わるので、それがドラマの良し悪しという話ではない。


ただ、大枠として「同じこと」はなかなかやりにくい。


たぶんこの後の話では、「時間を戻した主人公」以外の登場人物が時間を戻す話は出てこないのではないか。いやあくまで勝手な想像ではあるんだけども。いくら話の筋が違うとはいえど、同じことやったら「それまたやるの」となってしまうもの。「世にも」のように、季節ごと(最近では半年の一度)に放送するくらいであれば、ほとぼりが冷めて許されるような気がするんだけど、さすがに連ドラでは厳しいのではないか。もちろん「大オチとして主人公以外の人間が時間を戻す」のではなく、物語の途中で複数人が時間を戻すというケースはあるだろう。けども、オチとしての「相手も」パターンはさすがにやらないという気がする。


となると、この連ドラに、バカリズムに求められるものは「以前とは違うオチ」という、様々あるこの手の作品の「オチの選択肢」をひとつずつ丁寧につぶしていくしかない。最初はわりかし自由に選択できたオチが、終盤になるにつれてどのようなオチを選択していくのか。それは本当に最後まで「素敵な選択肢」になり得るのだろうか、というのはひとえにバカリズムという脚本家の腕の見せ所なんだろうな。

*1:今となっては「世にも」が連ドラだったことを忘れている人のほうが多いんじゃないかという気すらする