エーミール

吉野家の常務がマーケティングを「生娘をシャブ漬けにする」という喩えでもって、自身が講師を務めていた早稲田大学の講義で発言したのが問題になっている。そりゃあまあこのご時世問題になるでしょうなあ。

 

マーケティングというのがつまるところ「依存度を高めてリピーターになってもらうための手法」であるのならば、そこは間違っていないのだろう。しかしマーケティングの喩えとして間違っていなくても、それを大学の講義という「誰かに揚げ足とられやすい場所」で言ってしまうのは、間違ってはいなくても大凡ミスということになる。

 

吉野家はこれを重大なこととして、この常務を即解任し

 

「本日以降、当社と同氏との契約関係は一切ございません」

 

と表明した。会社としては一刻も早く「うちはそういう立場じゃありませんから!」と表明したかったのだろうけども、すべてをこの常務に擦り付けて問題の本質を棚上げしたような気がしてならない。今の時点で契約関係は一切ないのかもしれないけども、この元常務の発言が、常務だけの価値観によるものだったのか、はたまた会社全体がこういう価値観を共有して持ち合わせていたからこそのものだったのかでは話が大きく違う。なんというか、自分は後者のような気がしているからこそ、この吉野家の態度は卑怯だなあと思うわけです。

 

それは藤田ニコル吉野家のCMキャラクターになったという違和感に起因する。

 

他の人がどう受け取ったかのは知らないけども、自分は吉野家のCMで藤田ニコルがアルバイトとして働く、というCMを見たときに「なんだこれ」と思ったわけですよ。この時点では理由を突き詰めることはしなかったんだけども、「藤田ニコル吉野家でアルバイトしている、という設定が若者に親しみを持たれるとでも思ってんのか。なんかナメられてんな」と漠然とは感じていた。藤田ニコル金持ちだし吉野家なんて食わないだろ、とも思っていた。ただ、この時点ではこの違和感の正体がはっきりと言葉にできなかったわけです。

 

しかしこの報道で三浦瑠麗が

 

ニコルさんが本当にかわいそうだなと思うのは、若い女性だから。バカな存在として吉野家の常務に見られているというようなイメージがついてしまうと困るなと(引用:スポニチ

 

と発言したという記事を見て「ああこういことか」となんとなく合点がいったわけです。藤田ニコル起用の正体は「女性なんてのは同性の若い子でも出しておけば食いついてくるでしょ」的な「オッサンが考える若い女性受けする女性タレント」の最適解に過ぎなかったのです。三浦瑠麗の言葉を借りれば「バカな女性を釣るためのバカな存在」だろう。そして言い方は悪いが、今藤田ニコルであることが、オッサン加減を強調している。

 

もはや成功者の立ち位置である藤田ニコルよりも、もっと「バイト」として相応しそうな女性タレントがいる中での起用。それは「あえて」というよりも「オッサンがギリギリ知ってる若者受けの女性タレント」でしかなかったのではないか。この要素が先立てば当然のように「藤田ニコル吉野家でバイトという設定の謎さ加減」はスルーされるわけです。冷静に見ればそこに違和感しかないことであっても、である。

 

元常務の発言と、藤田ニコルを新人バイトとしてCMキャラクターに起用するという視線に共通するのは「どうしようもなくオッサンの発想」ということ。同世代の女性を出しておけば女性受けするんだろう、という発想そのものがオッサンなのだけど、オッサンだけではそれに気づかない。今時の会社ならば誰かが気づく。しかし気づかないままそれが実行されているのだから、吉野家という会社全体がオッサンなのである。オッサン化している会社が、いかにもオッサンな発想の「生娘をシャブ漬け」と発言する元常務を生み出していると考えるほうが自然だろう。

 

藤田ニコルをバイトとしてCMキャラクターに起用する」のは「生娘をシャブ漬けにするがごとく、若いうちから吉野家に味に慣れさせてリピーターになってもらうための呼び水だし、藤田ニコル使ってれば若い女性もなんとなく食べにくるだろ」という、根本のところで若い女性も藤田ニコルも軽くナメているという、なぜかしら両者に通底している感覚があるにも関わらず「元常務の発想は自分たちにはない」と言えるもんなのだろうか。バレてないとでも思っているのか。会社も常務と同じ感覚だったからこそ藤田ニコル起用してるんじゃないの?

 

実際のところはどうだか知ったことではないけども、自分の中では腑に落ちたのでスッキリしました。そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな、という話です。