まさに「役不足」

役不足」という言葉はしばしば「力不足」の意味で誤用されます。


役不足」の本来の意味は「役者の力に見合った役を与えられていない」という意味であり、つまりは「その役に見合った演技力がない」という「力不足」の逆の意味になります。ちょっと前に起きた「正しい日本語」ブームのせいで、この手の誤用はよく知られるようになりました。中でも「役不足」はポピュラーな誤用語のひとつであり、今では多くの人が知っている言葉でもあります。


しかしなぜ「役不足」という言葉が「力不足」という意味で誤用されるようになったのか、というところまで日本語ブームは踏み込みませんでした。まあ察するに「役不足」という言葉の響きと字面が「その役を演じる力が不足している」という印象を与えたというのが大きいのでしょう。


ただ、自分はその理由に加えて「なかなか役不足という言葉を使う場面に出くわさない」というのも大きな理由のひとつにあるんじゃないかと思っているのです。


今の日本のドラマを見渡せば、「役者」というのも憚られるへっぽこな人たちが平気でドラマに出ているわけです。彼らを見て「こりゃあ力不足だな」と思うことはたくさんあっても、その逆に「彼らの演じるレベルに見合う役じゃない」なんてことは、これ滅多に遭遇しないわけです。使われない言葉は次第に形を変え、いつのまにか「力不足」という意味で「役不足」と使われるようになってしまった。そんな仮説を自分は考えるわけです。


しかし今回新しく始まったドラマ「赤鼻のセンセイ」を見たら、「こりゃあ“役不足”という言葉を使うに相応しいドラマだな」と思ってしまった。


赤鼻のセンセイ」は日テレで始まった大泉洋の連ドラ初主演となる作品。院内学級の教員となった石原参太朗(大泉)が奮闘するハートウォーミングなドラマ。ではあったのだが、初回の数字が9.4%と決して好調とは言えない滑り出しになった。


役者は日テレ得意の「地味だけど堅実」という顔ぶれであるが、なにせ神木隆之介須賀健太という当代きっての天才子役(といってももう二人とも16歳と14歳だが)を並べているのは特筆しなければならない。「MR.BRAIN」のような、無闇矢鱈に有名俳優を並べているのとは話が違う。本来ならばこの二人の共演というだけでもドラマ好きならば見るに値するドラマなのである。視聴率も15%くらい取っても不思議じゃないと思う。


しかし、実際ドラマを見ているとこの二人の天才を全く活かしきれていない脚本と演出にがっかりする。人物造形が薄っぺらいというのか、別に神木・須賀という天才が演ずるまでもない凡庸な役にしかなってない。初めて神木・須賀の演技を見た人は「彼らは演技がそんなに上手くない」と思ってしまうのではないだろうか。そのくらいに凡庸。


神木が「風のガーデン」で見せた軽い知的障害がある白鳥岳の演技は驚くほど達者であったし、須賀の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で見せた泣かせの演技はそこらのイケメンなんか全然歯が立たない。そんな彼らを凡庸に見せる脚本に演出。これを「役不足」と言わずして何と言おうか。


小林聡美に関しても同じ印象。小林がそういう役が上手いのは百も承知。なにせ日テレのドラマでそういう役でばかり起用されるんだから上手くて当たり前。だからこそ今小林にそういう役をやらせるのであれば何か一味変わった部分が欲しいんだけど、もうまんま「小林聡美が日テレで演じている役」のイメージそのまま。小林本人も「こんな役ばっかだな」と思ってるんじゃないか。日テレに限ったことではないけど、もっと小林聡美にやらせるべき役ってあるんじゃないのだろうか。あとどうでもいいけど、また尾美としのりと共演してますな。最終回にでも入れ替わるつもりか?


それはともかく、この薄っぺらい脚本を誰が書いているのかといえば土田英生。以前大泉洋が主演した単発ドラマ「おかしなふたり」の脚本も書いていた。この時も自分は「何か脚本があまりよくない」という感想を持っていたのだが、今回もそう思えた。おそらく土田氏と自分の感覚はあまり合わないのだろう。もしくは、土田氏の脚本が下手のまま進歩していないのどちらか。


大泉洋を本人のキャラクターそのままに描こうとするのは分からないでもない。けど大泉のキャラクターを描いただけで満足しているのか、その他の人物の造形が雑というか薄っぺらいというか、見ている側として少しも共感出来ないのが悲しい。役者という素材を全然活かしきれていないのは「勿体無い」というより他無い。


「MR.BRAIN」は所詮水嶋ヒロレベルの脚本でしかないから、どっちがどう悪いという感じはしない。けど「赤鼻のセンセイ」は間違いなく大泉以外の役者の良さを殺している。これでは上がるべき数字が上がらないのは当然だろう。タダでさえ手垢の付いたテーマの作品を手垢のつきまくった感じで描いても、そりゃ誰も見向きもしないって。もっと二人の天才が天才っぷりを発揮できるドラマにしてこそ天才が輝くんじゃないだろうか。



とまあかなり厳しめのことを書いたが、自分はそれでもこのドラマは見続けるのです。なぜでしょう。その理由は次のエントリで。