笑い飛ばすということ

アウト×デラックス」の小林よしのりには腹抱えて笑わせてもらった。


アウト×デラックス」とはナイナイ矢部浩之とマツコデラックスによるトーク番組で「アウト軍団」と呼ばれる何かしら「やばい」人たちが集まっている。そんなやばい人たちのやばい生態を笑う番組である。


そこに登場したのが「AKBの仕事だけは受ける」と言って憚らないゴーマニスト小林よしのり。言わずと知れた「おぼっちゃまくん」「ゴーマニズム宣言」の作者の漫画家である。自分も幼少時から「おぼっちゃまくん」を嗜み、そして10代の多感な時期に「ゴーマニズム宣言」および「戦争論」あたりを読んで衝撃を受けた世代である。自分の文章の根幹には「どんな(屁)理屈でも筋道さえ通ればそれなりに読ませる力がある」というゴーマニズム宣言的な思想がある。それが正しいかどうかは別にして。


そんな小林よしのりこと「よしりん」はAKBについてまあ熱くキモく語るわけです。「大島優子とヤレるもんならヤリたい」という発言はよしりんの過剰なサービス精神と半分本音が入り混じった珠玉の発言でした。あのくらいはっちゃけてくれると、見てるほうも「これはもう笑うしかないわ」となるんで、非常に分かり易い。


トドメだったのがエンディングで流れた弾き語り「フライングゲット」。これがもう最高。今やフライングゲットといえばキンタロー。の代名詞になってしまったが、今日からはもう「よしりんの一番面白いやつ」に変わりました。特にサビの「フライングゲトォー」の部分がツボ。あんなに叙情的なフライングゲットを歌う芸人漫画家さんはいないよ!さすがのマツコも「これは笑っていいもんなのか……」と矢部とともに笑いをこらえていたのが印象的。


いやこれが三谷幸喜のように原曲キーに合わせてとんでもない歌唱とかだったらなんの迷いもなく笑えたものを、中途半端に歌が上手いから「これは本人もマジだし、笑ってしまっていいんだろうか」と変な気を遣わせてしまったことによる現象だってのがまた面白い。まさにカオス。どうしていいか分からないのはテレビの前もいっしょだったろう。まあ自分は大笑いしましたけど。


ただまあ、こういうのって本人がマジかどうかはともかく、思いっきり笑ってあげるのが礼儀ってもんだと思うのです。もちろん面白くないのに笑えとかいう意味ではなく、素直に現象を評価したら「面白い」「滑稽」以外の何物でもないわけで、変に気を使うより笑うのが健全な対応なのではないかと思う。それは「バカにしている」んじゃなくて、「この人バカだなあ」という、リスペクトを含んだ称賛ですよね。そこには暖かい視線が存在するといってもいい。


故・立川談志は自分の落語のことを「人間の業の肯定である」と言っていた。


自分は談志の落語に詳しいわけでもないので、言葉に関して自分なりの解釈ではあるのだが、「人間てのは元来どうしようもない生き物であり、滑稽なものである。それは人間が背負った業なのだから否定するのではなく、笑い飛ばすことで肯定してしまおう」という意味なのではないかと思う。


それが今回の「フライングゲット」なんだと思う。こんなもの意地悪な見方をすれば「小林よしのり59歳によるオナニー弾き語り」になるわけではないですか。それを一笑に付すのは簡単。気持ち悪いと否定するのも容易だ。しかしこれを「ああ、人間ってどうしようもないな。あんなに偉そうにゴーマンかます人が最終的にこれじゃあもう笑うしかないよ」と受け止めるほうが、絶対に面白い。まあその面白さを本人が望んでいるかはともかく、これを「面白いもの」と捉えることのほうが絶対に人生は楽しい。所詮人間なんてこんな感じでダメなんだと思えば、また生きる気力も沸いてくる。


そこでやっぱり、「中島知子の復帰戦」はこの番組しかないんじゃないかと思えてきた。


オセロ中島の洗脳騒動は今更説明の必要もないだろう。つい先日「ワイド!スクランブル」にて単独インタビューが放送されていたが、「洗脳はされていない」「自称占い師は悪くない」と、精神科医香山リカのお墨付きなんか1ミリもいらないくらい「ああ、この人なんも元に戻っちゃいない」という逆アピールにしかなってなかったのは記憶に新しい。


そもそも自分は「洗脳」の定義がよく分かってないので、何をもって洗脳されているというのか、あるいは洗脳が解けるというのはどういう状態かはよく分からない。アニメみたいに「洗脳が解けた」ら今までの考え方にすっぱり戻るかといえばそうでもないだろう。むしろ中島が「あの頃はどうかしてました」「占い師に騙されてました」と言えば洗脳が解けたことになるのかとも思ってしまうし、じゃあ今のまま中島が仕事に復帰したいのであれば、「今の状況にあった」中島に与えられる仕事を考えるしかないだろう。*1


もうこうなったら「元の中島知子」は諦めて、もうテレビの中でもって「元の中島知子に戻る過程」あるいは「今の中島知子を最大限に楽しむ方法」というエンタテインメントに昇華しなければならないだろう。じゃあもう「アウト×デラックス」において、腫物に触る扱いじゃなくて、真正面から矢部に「アウト〜」と言ってもらえばいいんじゃないのか。「アウト:まだ占い師を信用している」とかいうテロップとか出してもらえばいいじゃない。そんなもの見たら、洗脳のことなんかどうでもよく、もう視聴者も笑うしかないって。中島も笑われるしかないんだもの。そのうち自分の身に起きている異変に気付く。気づけなければ自然と仕事がなくなるだけだ。


非常に無責任なことを言えば、自分は中島知子が将来身の破滅を起こそうが何しようが興味がない。ただ、本人がテレビに出たいんだと言ってるんなら、それをエンタテインメントに昇華させて提供しようと考えるのが前向きなんじゃないか。これをやったら本格的に中島知子は元に戻れないかもしれない。ただ、今の段階でもう元に戻る気配がない以上、そんな風な「荒療治」があってもいいんじゃないかと思う。腫物に触る扱いをするから、中島が腫物になる。「腫物になった中島」を腫物ではなくキワモノとして扱うことが正しいんじゃないかとうっすら思うわけだ。


何度も言うが中島がどうなろうと知ったことではない。けど、中島は今のままでは面白くもないし元にも戻らない。中島を面白くするにはもう「ああいうもの」として扱ってあげるのが一番なのだ。ああなっても人間は生きていけるしテレビに出てもいい。人間の業を肯定して笑ってやればいいんだ。

*1:もちろんそれとは別に事務所独立に対する不義理とか、洗脳どうこうが言い訳にならないような障壁はたくさんあるわけだが、それを不問にしてという前提の話