そりゃFINALにもなるわ

ヨモギダ少年愚連隊FINAL」を見た。


ヨモギダ少年愚連隊といえば、長寿バラエティであるめちゃイケの中の「歴史」を物語るうえで欠かせない企画。めちゃイケという番組の全てが凝縮されていると言っても過言じゃないだろう。それが9年ぶりに復活して放送されるというのだから、これはもう見なければならないのである。義務といってもいい。


そして見た。まあ、つまんなくはなかったんだけど、FINALを標榜するにはあまりに小粒なまとめ方だったのではないかと思った。これを放送するにあたり、フジテレビはオンデマンド放送で過去のVTRをすべて配信したのだが、配信した当の本人たちが自分たちのVTRをちゃんと見てないんじゃないかと思えたくらいだ。今回のFINALには大きな欠点があるわけですよ。


それは、岡村が何もしちゃいないということ。


そもそも「ヨモギダ少年愚連隊」とは如何なるものなのかを確認するときに、「岡村と素人のヨモギダが張り合う」ことが本筋にあったことを忘れてはいけないだろう。復習の回でも今回の放送でも、それは再三確認されてきた。柔道で、大学受験で張り合ってきたのだ。音楽活動に関しては岡村が張り合うまでには至らなかったが*1、最後に無意味に坊主になるということで折り合いはつけていた。しかし今回岡村がやったことは何か?岡村アタックこそしたものの、「北の国から」のパロディにかこつけてヨモ父のスピーチを流しただけではないか。最後に爆発するのはまあいいとしても、岡村がどこでヨモギダと張り合ったのか。せめて岡村もマッサージの勉強をするとかいう選択肢はなかったのか?


別に岡村が本気でマッサージの勉強はしなくてもいいんだ(いや実際するところが芸人としての岡村の能力の高さだとは思うんだが)。しかしこれが「ヨモギダ少年愚連隊」である以上は、岡村は無理にでも素人ヨモギダと張り合わなければならなかったのだ。本当に張り合うのが難しいならばポーズだけでもいい。けど、今回はそのポーズすらない。これがよくない。いいコメントしてテープ爆発させるだけなら、「はねるのトびら」でもできたわけだよ。「はねる」が終わり「めちゃイケ」が続いていることの差というのは、そういうところにあるんじゃなかったのだろうか。


これでは単に「昔の企画におんぶにだっこ」そのものではないか。ヨモギダの現状を紹介して「がんばれ」だなんて、そんなの少年愚連隊でもなんでもない。三中と柔道させることで何が生まれるというのか。やるのは構わないが、岡村が「何もしていない」以上こんなものを挟み込むこと自体が目の付け所として間違っている。


結末もひどいもんだった。岡村がCEOに就任したフジのネットコンテンツ「ゼロテレビ」の宣伝だもの。宣伝は悪いことではないと思うが、何もここに挟み込まなくてもよかっただろう。めちゃイケスタッフは「ヨモギダ」という企画をこんな締めくくり方で終わることをどう思っているんだろうか。


なんというか、全編を通じて感じたのは「フジテレビの弱体化」でしかなかった。以前は1か月もかけて放送した企画を単発のSPで片付けてしまう構成力、岡村が何もすることなく「ヨモギダの現状報告」に甘んじてしまう企画力、さらには手前味噌のネットコンテンツを宣伝して終わる節操のなさ。何もかも余裕がない。「過去の遺産を食いつぶしている」という表現が残念だがしっくりくる。。


「こんなことならばやらなきゃ良かったなじゃないか」とは言いたくないんだが、そういう批判が出ても仕方のない出来だったとは思う。「ヨモギダ鍼灸師の資格取るためにがんばってるんだなあ」で番組が終わってどうするよ。お前らも、岡村も、スタッフももっと頑張れよ。そうテレビの前で呟きたくなったのは自分だけなのだろうか。

*1:楽曲は作っていたが、完成せず