分かってればいいのか

「新しい波16」を見る。


「新しい波」とは「お笑い8年周期説」に則ったお笑い芸人発掘番組だ。簡単に「お笑い8年周期説」を説明すると、お笑いの新しいスターは8年周期で誕生するいう説のこと。ビートたけしが生まれた8年後に明石家さんまが生まれ、さらにその8年後にダウンタウン、そしてその次の8年後はナインティナインという具合。


しかしまあ、何と言ったらいいのかこの説は都市伝説のような側面、いわゆる「眉唾」の類の話だ。たけし→さんま→ダウンタウンまでは確かに綺麗に出来てはいるが、ナイナイはそもそも学年のひとつ違うコンビである。しかも「新しい波」という番組は正確にダウンタウンの8歳下の芸人のみを扱ったわけではなく、大体ナイナイと同世代の芸人を集めたもの。なにも8年周期と限定されたわけじゃあなく、ざっくりと8年下の世代くらいに考えていたのは明白。


それはさらに8年後の「新しい波8」においても同じ。一応キングコングがナイナイの後継ということになってはいるが、キングコングの二人は1980年生まれでダウンタウン(1963生まれ)の8年周期を正確に受け継ぐ矢部(1971生まれ)とは9つ離れている。そもそもキングコングが8年周期説の面々に肩を並べるようなメンツであるかどうかがそもそも疑問ではあるし。


つまりは、「新しい波」及び「新しい波8」という番組はお笑い8年周期説というもっともめいた口実におけるお笑い芸人の掘り起こしだったことは、ここで長々と説明するまでもなく明白である。当時それほどテレビ出演の機会もなかった芸人たちに門戸を開いたという意味では重要な位置付けにあるが、かといってこの番組が「お笑い8年周期説」に寄与しているという捉え方をするのはあまり正しくないだろう。


なもんで、今回「新しい波16」という番組を放送する意義はあまりない。


なぜなら、今お笑い界は新たな人材がどんどんテレビに出ることの出来る環境が整っている。わざわざ若手を発掘するまでもなく、実力のある芸人はそれなりにオーディションを通ってあらゆる番組に出演している。逆にいえば、これだけお笑い番組が氾濫していて前に出る機会がないのは、それはまだ実力が伴っていないということだろう。仮にお笑い8年周期説が正しいならば、「新しい波16」がなくても他の番組で頭角を現しているはずだ。今のお笑い界にはその環境が整っている。オリエンタルラジオがいい例だ。


だからわざわざ「新しい波16」などという番組を始めて、必要以上に溢れている芸人たちにさらに手を差し伸べる蓋然性など決して高くない。あるとすれば「めちゃイケ」「はねトび」に続く3匹目のどじょうを狙った「フジテレビの青田買い」ということなのだろう。まあ買った青田がちゃんと実りをもたらすかはまだ不明ではあるけども、2回成功したらノウハウもあるしまた成功すると思うのは自然といえば自然。


だったら最初からそう言えばいいものを、わざわざ「新しい波16」は新番組一発目で、MCのウエンツ瑛士に「やらない」と言わせる。しかも前述のように、これほどお笑い番組が溢れている中、わざわざ放送する必要もないだろとウエンツ本人に言わせる。もちろんそういうコントなのだけども、自分にはこの白々しいコントが「私たちは分かっててわざとやってますよ」という言い訳を聞いているようで気持ち悪い。


ウエンツにコントをやらせることが面白い、ということではなく(もちろんそういう言い訳も含まれていたと思うけど)、自分が前述したように「8年周期説というのを建前にしてはいるが結局は青田買いである」という事実を制作側は分かっていて、その手の内をウエンツとのコントで明らかにした上でやってますよ、わざとだよという言い訳じみた「分かっている」が気持ち悪いのである。


「分かってりゃいいのか」と単純に思う。


そりゃ頑なに「芸人8年周期説」を押し通し、本来の目的を隠そうとするよりはいい。かといって「イヤらしいこととは分かっている」と裏事情をチラつかせたところで、「芸人の青田買い」という本来の目的のイヤらしさが相殺されるわけじゃあなかろう。なんだか最近のめちゃイケ含め、「本当はそうじゃないことは分かっている」という言い訳を予めチラつかせておけば、そこにある事情のイヤらしさまで相殺できると思っているのが自分は気に食わない。


今回のケースだってウエンツにわざわざ「本当は番組の必要性がない」ことなんて喋らせる必要なんてない。しかもその話の終着が「末高斗夢が出るからOK」というのはもっと必要ない。堂々と「お笑い8年周期説」ってことを前面に押し出してやったほうがまだ潔い。


今後この「分かってやってます」という言い訳じみたやり方で、言い訳の目的のイヤらしさを相殺しようとするっていう技法はどんどん増えていくという厭な予感がする。分かってやっていれば「そういう事情もある」と視聴者がみんな勝手に斟酌するようになるのを狙っているのかもしれない。いち視聴者として、テレビの裏事情を押し付けられているようで単純にイヤだ。