質感

あなたは藤木直人が勃起する姿を想像することが出来ただろうか。


降って沸いたような藤木直人の不倫ならびに流産報道。現在世間では山本モナ不倫報道で一色であるけども、本来ならば結構大きな取り上げ方をされてもおかしくない。中身はといえば、藤木直人が自身のライブツアーの最終日の打ち上げ会場にいたホステスと一晩を共にしたあと、その後も関係が続きそのうちに不倫相手が妊娠。藤木は堕胎を迫ると共に数百万円を支払ったとのこと。結局女性は堕胎ではなく流産してしまったようだ。


文春の記事を読んだわけでもないし、新聞記事に書いてあった不倫相手とされるホステスの言い分を全て鵜呑みにすることは出来ない。だからこの話の信憑性がどの程度のもんなのか全くもって分からないのだけども、自分はこの報道を聞いたときに「ああ、藤木もやっぱり男だったんだ」という感慨とともに、急速に藤木直人という人物が質感をもった存在に思えてきた。


冒頭に唐突に書いた文章であるが、この質問にあなたはどう答えるだろう。おそらく多くの人が「NO」と答えるんじゃないだろうか。藤木直人は結婚して子どもがいるにも関わらず、あまり性的な匂いを感じさせない。それは「下ネタを言うか言わないか」という表面的なことではなく、その人物を見るときに漂ってくる生活臭とでも言うのだろうか。変な言い方をすれば「体臭がしない」とでも言うのか。なんかこう、人間として「現実に存在している」という質感を伴っていないように自分は思えた。


藤木直人は俳優でもあり歌手でもあるけども、さほど演技も歌も上手いわけではない。なのにそれが「さも当然であること」のようにドラマにも出るし歌も歌っている。しかも早稲田卒のインテリでもある。そして最大の特徴は「かっこいい」だ。なんかこう藤木のファンに都合のいい作り物のような非リアルさがあった。


ドラマにしても「おしゃれイズム」での司会にしても、そりゃ確かに存在するんだけどもちっともリアルでないというか、なんだかCGを代わりに置いておいてもさほど影響がないというか。アニメの登場人物がそこにいるような感じ。どんな詳細な人物設定を繰り広げたところで二次元と三次元では決定的な「そこに存在している」という差があるように思えるが、藤木に関しては二次元寄りな感じだったのだ。それが今回の不倫流産報道。無味無臭だった藤木の体臭が急に明確になったような感じだ。藤木から人間の匂いがする。


妻帯者であり子持ち。当然ながらプライベートではセックスだってするわけだ。しかし芸能界に存在する藤木直人という人間からは「藤木直人が勃起する」というイメージのプログラムは欠如している。これを読む方に上手く伝わっているか自信はないのだけども、例えば「小栗旬が勃起する」というイメージは普段の小栗旬からなんとなく想像はつく。それは単に恋愛報道があるなしに関わらず、普段メディアに露出する小栗旬の立ち振る舞いをみれば、それが正確であるかどうかはともかく「たぶんこんなの」という想像が出来るということ。しかし藤木にはその「たぶん」を形成する材料にあまりに乏しかった。


リアルの人間からは「勃起する」という状況に関して、別に「小栗旬が勃起するとき」という設定がなくても別の設定からその種の情報が拾えるものだけど、アンリアルである二次元の人物設定だと「設定にないものはない」わけで、その種の情報を別の情報から拾うことは出来ない。藤木直人という人間はまさにそれで、まるで最初から下ネタ(あるいは私生活)に関する情報は設定されていなかったかの如く。ただ芸能界で俳優と歌手として活躍する人間という設定のみ。


それが今回「不倫して堕胎も迫る」という情報が付加されたことで、一気に藤木直人の人物造形が2次元から3次元のレベルにまで高まった。本人にとっては一連の報道が全て余計なお世話であろうが、自分からすれば「藤木直人という人間もやはりそこにいる人間なのだ」という本来は当たり前だが今までそうでなかったことの証明になった気がして、親近感ではないが妙な安心感があったというのは偽らざる本音である。