朝ドラ的美徳

NHK朝ドラ「スカーレット」は続けて見ています。まあここ数年朝ドラリタイアしたことはないんですけども。

 

話は中盤戦。その中で主人公喜美子(戸田恵梨香)の夫八郎(松下洸平)に対し、弟子の三津(黒島結菜)が恋心を抱きつつあったけども、自ら身を引き去っていくというものがありました。いかにも「NHKの朝ドラ」という感じがしました。描き方としては絶妙で、師匠と弟子という距離感と、自分にはない才能を持つ者に対する劣等感を抱く者同士の共感、そこから打ち解けていくという自然な流れ。

 

これが22時台のドラマであれば間違いなく二人は恋に落ち、そして不倫関係に陥ったり駆け落ちしたりというありがちな展開が待ち受けているわけですが、そこはNHKの朝ドラ。そんなことは一切なく、自分の気持ちに蓋をして気丈に去っていく三津の健気さと最後まで一線を超えそうで超えない八郎のもどかしくも誠実な人柄が描かれるわけです。健全!あまりに健全!

 

もちろん朝から不倫ドロドロのドラマをやる必要がないし、むやみに主人公が酷い状態に陥る必要もない。だからここで不倫ルートは今のご時世の不倫ファシズムを考えても当然にあり得ないのだけど、その一方で「そこで何もなしに終わるかー、そうかー」と思ってしまった自分もいるわけですね。朝ドラにリアリティも生々しさも必要ないけど、肩透かしを食った感は若干ある。

 

川原喜美子のモデルとなっている神山清子の人生に照らし合わせれば、実際に夫が弟子の女性と不倫をし、そして離婚している。もちろんドラマのモデルの通りストーリーが進むわけではないので、ここはもちろん「あえてそうしない」のであろう(ただしドラマでの八郎は穴窯の件で喜美子と対立し、息子と家を出ている(1/29現在))。それが朝ドラの正しいあり方であり、世間的にも正しいつうことになるんですかね。

 

しかしその「正しいあり方」の枠にはまって「誰から見ても幸せな結婚」をしたからこそ、その道を外れた不倫で恐ろしいほどに叩かれている人間も生まれているわけですね。もちろん不倫をする人間にその責はあるのでかばうというわけではないのだけど、あまりに理想すぎるものを求めたあまり、その理想から外れた場合の反動はえげつないよなあとは思うのだ。もう一度書くがかばっているわけではない。現象として残酷だなあと思うだけだ。

 

ただまあ朝ドラとはそういうものであり、朝ドラそのもののあり方を責めているわけではない。単に不倫をした人間が責められるべき話なのだけど、その一方で勝手に理想の夫婦だと持ち上げておいて、それを一方的に裏切ったときの掌返しもなんかちょっと違う気がする。それもこれも朝ドラが分かりやすく正しいからだ。朝ドラの正しさや美徳は時にふしだらな現実に対して凶器になるのかも。そんなことないのか。自分がふしだらなだけだからそう思うのだろう。でも正しいだけの人間はつまらんよ、と思う自分がいる。