大人になんかならないで

古畑中学生」について書くと思われているような気がするんですが、実際書くから別にそれでいいんです。


えーと、変な言い方ではありますが思っていたよりもずっと面白かったです。いや本当に。


映画「ザ・マジックアワー」も「古畑中学生」も実は全然期待していなかったんですが(まあどちらもその旨ここに書いたような気もするんですけど)、「マジックアワー」のほうはその期待と同程度の面白さであり、「古畑中学生」はそれよりは一枚上手の面白さだったんじゃないかと思います。


とは言っても「古畑任三郎」の面白さを「古畑中学生」に期待していたのでは、やっぱりそれは物足りないというか「全然違う」という評価になってしまいます。おそらく大方の古畑ファンはそう思って見ていたのではないでしょうか。しかし最初から「これは古畑であって古畑ではない」という心構えで見ていれば、一本筋の通った分かりやすいジュブナイルとして充分に楽しめる代物であったと断言したい。もうちょっと時期をズラして夏休みSPと冠して子どもたちに見てもらいたい感じです。


そもそも「古畑任三郎」と違うのは、殺人事件も起こらないし倒叙にもなっていない点。もちろん古畑と犯人の対決もない。これがなければ「古畑」ではないと言っても過言ではないのだけど、かといって中学生の古畑が本編と同じように倒叙による犯人との対決を行っていたら、どう考えても悪い冗談にしかならない。そしてこの選択は決して間違ってはいない。


物語は「古畑にとってのルーツとなる人物は誰なのか」という視聴者に与えられた謎とともに、古畑が中学生の時に遭遇した一連の事件を主に向島の視点から描いていた。古畑のルーツとなる人物は割とあからさまだったように思えるが(というか、三谷幸喜浅野和之に対して抱いているイメージが「マジックアワー」の時といい透けて見えるのがなんか面白い)、個々に起きた事件を最後に一纏めにする手法は、三谷ならではの細かい伏線が効いていたように思う。ドラマの構成という点では「マジックアワー」より上でしょう。


主演の山田涼介は随所に古畑を意識した部分が見え隠れしていたけども、あのぐらいで丁度いいんじゃないだろうか。あれ以上意識するとモノマネになるし、かといって全く古畑じゃなくても「じゃあオマエ誰なんだよ」になってしまうし。向島を演じていたタモト清嵐がなかなかいい味出していた。彼がいるといないでは全然ドラマの完成度が違ったのではないかと。


古畑マニア的な視点でいけば随所に見所が。セリーヌの自転車なんかは分かりやすい例であるけど、一番重要だと思ったのは「憂いや哀しみを帯びた女性に弱い」ってとこですかね。その点福田麻由子はあまりそういう印象ではないんだけども、逆にあの歳でそんな女性を見つけるほうが大変なのでOKでしょう。最後の向島の「次に会ったときに彼は僕のことを覚えているんだろうか…」つうモノローグも笑った。ここんとこ再放送されていた「FINAL」でこそ名前も覚えられ、イチローの異母兄弟にまで上り詰めた向島ではあるが、第2シリーズまではちっとも苗字を覚えられていない人だったからなあ。


というわけで、思ったよりずっと悪くない出来。但しあくまで脚本の出来が良かったからこその評価であり、「田村正和あっての古畑」という評価を山田涼介にしているわけではない。というわけでこれを連ドラにしようとか高校生でやってみようとか無謀なことは遠慮して頂きたい。続編を書いたところで脚本のクオリティが維持出来るかどうかはやっぱり別問題。