ドラマチック

薔薇のない花屋」の最終回を見る。


久々に「ドラマらしいドラマ」つうものを見た気がする。初回の感想を書いたときにも同じようなことを書いたが、最後までその印象はいい意味で変わらなかったということだ。野島伸司の実力を再確認したようなドラマだった。


今では誰も口にしないのかもしれないが、「ドラマのような恋がしたい」という表現がある。この場合の「ドラマ」とは何を指すのだろうか。ドラマが英語の「ドラマチック」の訳である「劇的」と解釈すればまた別だが、おそらくここでの「ドラマ」という使い方には、90年代のトレンディドラマが念頭にあるのではないだろうか。ひょんなことから男女が出会い、そして紆余曲折を経て最終的にはハッピーエンド。「薔薇のない花屋」は、まさに「ドラマのような恋がしたい」の「ドラマ」そのものである。


この書き方では語弊があるが、決して「薔薇のない花屋」がトレンディドラマだったという意味ではない。それでは単に時代遅れのドラマである。90年代のトレンディドラマの基礎があって、それを今風にアレンジし紡いだ物語が「薔薇のない花屋」だった。野島伸司特有の飛び道具(誰かが死んだり重病に罹ったり)は登場しなかった、という意味でも「今風」かもしれない。


かといって決してこのドラマが現代の流行を取り入れているわけでもない。最後に香取が竹内に「愛してる」と告白するシーン、これ21世紀に入ってから韓国ドラマ以外では見たことのないド直球な告白シーンではなかっただろうか。少なくとも自分は21世紀に入ってからあんなに直球な告白シーンを見た記憶がない。155キロストレート直球勝負である。


今のドラマ界は漫画や小説原作が増えているので、こんなド直球な告白が登場しようがない。漫画にしろ小説にしろ、こんなシーンをマトモに描いたのでは陳腐極まりないからだ。しかし野島伸司は、オリジナルの脚本で陳腐極まりないこのシーンを陳腐ギリギリのところで踏みとどまり、21世紀のこの世の中に90年代の「ドラマのような恋」を復活させた。古臭いと切り捨てることは容易いだろうが、自分はこの試みを評価し歓迎したいと思う。大袈裟に言えば、ドラマがドラマとしての存在価値を我々視聴者に問うているかのようだ。


もちろん世の中がこんなドラマばかりだったら閉口してしまうが、時にはこういうドラマも悪くない。恋愛ドラマとしてよりは、上質のファンタジーとして毎週楽しませていただきました。あとは、雫ちゃんを演じていた八木優希があまりに達者すぎて将来こじれてしまうんじゃないかだけが心配です。珍しく短文ですが、たまにはいいでしょう。読みやすいし。