ヨモギダ細部考


昨日にひき続き「ヨモギダ少年愚連隊4」考を。

さすがにこれだけ引っ張っただけあって、ネット上でも様々な感想が出ている。色々とそれを読んでいくことで、自分なりに出した解釈というものをここで展開したいと思う。

・岡村のスキンヘッド
岡村が「真剣」を証明するためにスキンヘッドになったわけだ。これは「真剣」と同時に「サンプラザ中野」という意味でもあったが、おそらく後者の意味合いのほうが強いように思われる。昨日も検討したが、岡村の歌は「不要」と判断された時点で、「岡村VSヨモギダ」という少年愚連隊シリーズの主軸がブレることになる。そのため、岡村としては「闘わないけども、真剣である」ことをアピールする必要があった。

ただ、テレビ的に分かりやすく、短時間で用意が出来るものといえば限られた話であり、それがさしあたり「スキンヘッド」という結論に達したわけであろう。言うまでも無く「苦肉の策」であった。結局スキンヘッドだけでは、その結論として弱いことが分かりきっていたために「サンプラザ中野」を付け加えたのであろう。そっちのほうが筋が通っているように思われる。

パッチワークライフのメジャーデビュー
テレビでは一切触れられなかったヨモギダ率いるバンド「パッチワークライフ」のメジャーデビューの件である。実際、この「メジャーデビュー」が、番組制作に踏ん切りをつけるひとつのきっかけだったのではなかろうか。

番組の展開としては「ヨモギダが音楽に対して真剣かどうか」という流れであり、そこにどう決着をつけるかが一応のゴールとして製作を考えていたはずだ。それが、めちゃイケ側の「中途半端」だとか「伝わってくるものがない」だのの意見を覆すかのような「メジャーデビュー」という出来事。これでは筋書きとして成り立たない。最悪である。

だもんで、めちゃイケとしては一切メジャーデビューの件に触れることなく少年愚連隊シリーズを片付けた。というより、触れることが出来なかったというのが本音ではなかろうか。認められない音楽というスタンスだったのに、認められてるんだもん、実際。

だからこれも順番としては「パッチワークライフのデビュー決定→少年愚連隊でアピール」の順番ではなく「少年愚連隊の構想が固まってきた→デビュー決定→急いで収束に向ける」という流れのような気がする。つまりヨモギダのデビューは想定外だった、ということ。よって触れるも何も逆に「隠しておきたい事実」だったように思われる。番組としては全くもって不要な情報なんだから。だから、この事実を「敢えて」放送しなかったのではない。よってその事自体を評価しても、それはお門違いだ。

ヨモギダ曲の英語詞
ヨモギダ青年が作る曲は全て英語の詞である。普段よっぽど洋楽を聞く人でない限り、馴染みが薄く、歌詞の内容などわかるはずがない。自分も勿論歌を聴いただけでは何を言っているか理解できない。ヨモギダ父もそう言っていた。

当然、「心」の部分が大事なのであるから、それでOKなのかもしれないが、イマイチ説得力の薄い部分がやはり「英語詞」にあるだろう。そしてヨモギダ熱唱中にテロップに出ていた訳詞にもトリックありだ。

放送中に「ヨモギダは最初から英語で詞を書いている」とされていた。ただ、つんくに自分の書いた歌詞を見せている部分では英語詞と同時に訳詞も書いてあったから、結局は英語で書いてから日本語に直しているということなのだろうか。そこらへんは不明である。

しかし、実際にテロップとして流れた歌詞はおそらくヨモギダ本人が訳した日本語ではない。「山田ひろし」という人物によって訳されたものである。その証拠として、エンディングのスタッフロールに「訳詞 山田ひろし」と流れている。他に訳詞を出す部分などなかったのだから、あの歌詞は山田ひろしという人物によって訳された証拠だ。

さて、「山田ひろし」とは一体誰なのか、という疑問にぶち当たるのだが、その正体は「作詞家」である。ネットで検索するとゴスペラーズの楽曲の歌詞なんかを提供していたりする作詞家のようだ。その「山田ひろし」が訳詞とはいえ、ヨモギダ青年の曲の歌詞を「作った」わけだ。

直訳ではない限り、改めて日本語に訳詞を作る場合はその訳詞家の「表現力」が重要である。放送を見る限り、直訳というわけでもなかったから、やはりあの歌詞には「ヨモギダ青年が書いた」とはいえ、プロの作詞家の色がついていることになる。

スタッフとしては、ヨモギダの心情をより表現力豊かな形でわかりやすいものにしたかったのだろうが、やはりここは本来ならヨモギダ青年が自分で訳した歌詞を掲載すべきだったと思う。自分の言葉で思いを伝えるという意味合いもあの歌にはあったろうに、より多くの人に伝わる日本語の詞が他人の脚色によって出来たものであるというのは、やや問題ありなのでは。そこらへんも含めて、今回のドキュメンタリー部分が弱いとされる点ではなかろうか。

ヨモギダ青年は本当に気付いていなかったのか
ここが最大のポイントであるような気もするが、不問にしたほうがよさそうな部分でもある。なぜなら、核心部分であるが、確かめようがない話である以上に「真実を知ったところで何の意味もない」からだ。勿論途中で気付いていた可能性だってある。ただ、気付いていたとしても、それが面白さを損なう材料になっていたかといえばそれはNOであり、追求する必要がない。

もっとも、自分はヨモギダ青年のネタバレの時の素晴らしいリアクションが全てを物語っていると思うのだが。

・最終週にしてのイントロ説明不足
一部で「今回(最後にして)初めてこのシリーズを見たので、面白さがいまいち分からなかった」という意見を見たのだが、当たり前。2時間SPなのに説明が不足していたのはいかがなもんか、というのだが、今までさんざ2時間SP以前の放送を「これでもか」というくらい丁寧に振り返っていたのは以前に駄文でも紹介したとおりである。

なもんで、最終的にここで説明する必要はナシと踏んだのであろう。というより、最後に放送する情報量が多くなるからこそ今回のイントロ部分を極力削ぐことが出来たわけで、結局「ここまで食いついてこなかったのに、最後だけ食いついてもらっても仕方がない」という意味もあったのではなかろうか。そこまでは面倒見ないよ、と。もっとも、時間内に放送すべきことがたくさんあったのはご存知のとおりで、イントロに割く時間がなかったというのが正解であろう。だからこそ今までの必要以上に多いイントロが意味を持つのであろうし。


他にもまだ書くべき部分があったようにも思えるのですが、それはまた気付いた時に書くことにします。