今改めて感じる若槻千夏の凄さ


17日放送の「英語でしゃべらナイト」は五木ひろしで、英語版「よこはま・たそがれ」である「Twilight Time in Yokohama」歌うの見たさに視聴。


一度ラジオで流れているのを聴いて爆笑した記憶があり、今回テレビで歌うという情報だったもんで固唾を飲んで鑑賞(ウソ)。ちゃんと英語歌詞と訳詞(訳詞つうか元詞だけど)もついており親切なことこの上ない。五木本人も語っていたけども、もともと「よこはま・たそがれ」という曲は単語を繋ぎ合わせた歌詞なので比較的英訳しやすかったとのこと。


途中の歌唱も笑わせてくれるが、やはり面白さが爆発するのはサビ部分。「♪あの〜人は行〜って行ってし〜まった」の部分を「My love is gone away , away , so far away」と二度畳掛ける。文字に起こせば「♪まいら〜ぶいずご〜なうぇいなうぇい、そーふぁらうぇい」となる。そして最後に「Never coming back my way(もう帰らない)」だ。笑わないほうがどうかしてる。


五木としては結構本気でこれを歌っているらしい。中途半端にアレンジされていたら「狙ってるな」という印象を受けるが、曲のアレンジも変わらずに真剣に歌っている。映像つきだとこれがまたさらに笑いを誘う。これを紅白で披露してくれれば茶の間の老人が腰を抜かすような気がするが、ちょっと見てみたい気はする。こんな面白いものもっと頻繁に披露してもよさそうなもんだが。木梨憲武が「みなさんのおかげでした」で真似すれば一発で流行ると思うんだけどなあ。


本題はその裏「しゃべくり007」で放送されていた若槻千夏。本来は時間帯は被らない(「しゃべくり」は22時〜22時54分、「しゃべらナイト」は23 時〜23時30分)のだが、この日は「しゃべくり」の前番組の「深イイ話」が90分だったため時間帯が被ってしまった。


前半はDAIGOが恋人の条件ベスト10を長々と語っていた。面白いのは面白いんだが、10も必要あっただろうかという感じの長さ。おかげで後半の若槻千夏の時間が短かった気がする。若槻はテレビ欄を見ながらその日見たテレビとその理由を語るというコーナーに登場。


若槻はご存知のように今年の1月から芸能活動を休止し古着屋をやっていた。そして約1年振りにテレビに戻ってきたわけだが、その理由として「一人で買い付けをこなしており、自動車の運転中に「あ、喋りてえ」と思ったから」と述べている。「古着屋のほうはもういいのか?」という質問に対してきっぱりと「飽きた」と回答。これが素晴らしい。


別に若槻千夏の飽きっぽさを褒めているわけではなく、その割り切り方がよい。芸能界に確固たるポジションを築いて、それを一旦休止してまで古着屋という商売を始めたにも関わらず、わずか1年足らずで「飽きた」と言って芸能活動を再開するなんてことはなかなか出来るもんではない。一旦始めてしまったことをいとも簡単に投げ出すというのは、実はダラダラ続けるよりよっぽど勇気のいること。もちろん元に戻る場所があるからそういう振る舞いも出来るというのはあるだろうが、周囲の反対(というか「勿体無い」という声)を押し切って始めたことは、ある程度成果が出るまでなかなか止められないもんではないだろうか。自分のサイトがまさにその状態なので、若槻の潔すぎる判断は地味に羨ましい。


そして買い付けで世界を回っていた生活を終え、日本でテレビに復帰するためにテレビを大量に見たと語っていたが、そのテレビ分析がいちいち鋭すぎてこんなとこでこんな文章を書き散らしている立場としては非常に忸怩たるものがある。なんだあれ。もう若槻がテレビ批評サイトやりゃあいいじゃんと真剣に思ってしまった。


若槻の凄さは「テレビに出演する立場」という視点が一切ブレていないこと。「テレビを見るときに楽しいなんて思ったことは一度もない」と言い切った。大概テレビの出演者ってのは出演者としての立場といち視聴者としての立場をごっちゃにして結構的外れな批判を繰り返しているのだが、今回の若槻に関しては冷徹なまでに出演者の視線。


全力坂」という番組がある。女性アイドルが坂を全力で駆け上がるだけの番組。北海道では放送されていない。タモリのような坂マニアのための番組でもあろうが、それと同時に女性アイドルのちょっとしたエロスを感じることが出来るという、低予算で頭を使ったいかにも深夜の番組。


この番組に関して若槻は、「(全力坂は)女性アイドルにチョコバナナを食べさせるのと同じ」と捉え、出演者にパターンが3種類あると言う。

  1. 「エロになることが分かっていて、そのベクトルに全力を傾けるアイドル」
  2. 「エロになることが分かるのを察知し、エロから逃げる(たとえば谷間を見せない)アイドル」
  3. 「エロという趣旨を全く理解せずにただ単純に坂を駆け上るアイドル」


若槻がチェックをするのは?のパターンのアイドル。勿論若槻も?のパターンの人間であり、キャラが被るということもあるのかこういうタイプを「出来る」と思うそうだ。自分が思うに女性受けするのは1であり、男性受けするのは3だろう。もちろん3を計算でやる3’つうのもいるんだろうが。


意識的なのかそれとも無意識なのかは分からないが、きっちりこういうカテゴライズ化して分析する。そりゃ売れるというもんです。若槻千夏というタレントが弁が立つのは勿論なのだけど、その技術の裏にこういう研究を重ねていることがタレントとしての格の違いを見せ付ける。1年経ったら若槻の居場所は誰かに奪われるんじゃないかと漠然と思っていたが、これを見て「あ、若槻はすぐに戻ってくるな」と思わされたもの。


そして圧巻だったのが新垣結衣のくだり。若槻が某番組で取り直しを要求したのに受け容れられなかったが、同じ番組で新垣が要求したらそれが通っていたことを受けて「新垣と自分のどこが違うのか?」という疑問を持ったという。そして導き出された結論が


「旬か、旬じゃねえか」


もう笑うしかない。半分はギャグでしょうが、半分はこれ大マジでしょう。勿論若槻は自分がタレントであり新垣が女優(という扱い)であることを念頭に置きながらも、どうやったら笑いが起きるかを計算の上でこう言い放ったとは思う。こんなこと言われたら「お前何様じゃ」ってなって絶対に笑うもの。でもその一方で「新垣結衣なんて旬が過ぎたらタレントとしての価値は自分と同じかそれ以下程度のもん」と言ってるようなもんですから。旬じゃなければ敵ではないと。


一見傲慢な発言にも聞こえる。それは若槻と仲の良い大沢あかねが自分のことを「子どもたちのカリスマモデルだった」と称し、世間の評価と自己評価が食い違っている現象と同じようにも見える。しかし大沢の場合は本当にズレているのに対し(そういや同日放送の「お試しかっ!」で杉浦太陽の女装に負けていた)、若槻の場合はその評価が実はそれほどズレていない。自分対他人の評価だから不遜に聞こえるものの、「新垣対若槻」という第三者の目線で見たら、案外当たっているのではないか。新垣と若槻の違いって「旬か、旬じゃねえか」が正鵠を射てるのでは?と自分はそう語る若槻を見ながら唸ってしまった。


テレビ評論というフィールドに限らず、「競争相手に対するしたたかな分析」という点で若槻千夏はやはり凡百のタレントとは一線を画す。今回限りは手放しで若槻を褒めざるを得ない。