育ちが違う田畑智子

キー局での放送ではどうだったか分からないが、札幌では日曜のお昼に「ウチくる?」が放送されていて、田畑智子がゲストだった。田畑智子が京都の有名料亭の娘であることは結構有名な話ではあるが、「ウチくる?」においてその実家を目の当たりにして、本当にいいとこのお嬢様なんだということを見せ付けられた。

田畑智子は取り立てて美人ではなくどっちかと言えば庶民的な顔立ちであり、あまりお嬢様であるという感じがしない。もっと上品な感じのする女優など他にいくらでも思いつく。別に田畑を貶しているつもりはなく、それだけ親しみやすい田畑の身のこなしは好感が持てるということだ。

しかし、本物のお嬢様というのはうわべだけ上品オーラが漂っているだけの心底が下品な女優とは違い、演技においてまさに「お嬢様」が要求される時にその真価がわかるというものである。

お昼のこともあってか、そういうわけで「新選組!」で近藤勇の妻役を演じている田畑智子にはまさに「本物」の風格が漂う。田畑智子が演じる近藤勇の妻つねはいいところのお嬢様が嫁いだという設定(というか史実なのか)である。だもんで、つねを演じる際には「お嬢様」でなくてはならない。しかし、ことお嬢様の役に関しては、田畑智子は隙がない。だって、本物だから。

勿論演技が下手でもないので、その点が気になることもない。もっとも、演技をするまでもなく所作のひとつひとつから滲み出る「お嬢様」な雰囲気がここでは重要なわけで、こればかりはいかに演技の立つ女優であっても真似できない部分だなぁ、と。


一方、シリアスな雰囲気を元来持っていないのにシリアスな役を要求されている中居正広は厳しそうだ。

初回こそ数字の良かった「砂の器」であるが、回を追うごとに数字が落ちている。原作は松本清張の傑作と言われているだけあって、決してつまらないということはないだろう。まあ原作が良くても脚本家がショボければアウトではあるが。

また、中居は決して演技が下手なわけではない。そりゃ中居の好き嫌いはあるんだろうけど、一応客観的な判断を下せば下手とまでは言えないはずである。脚本もよく、役者が下手でなければドラマというのは面白いもんである。しかしその考察とは裏腹に数字が下がっているのはなぜだろうか。

と、なると考えられるのは「中居の限界」ではなかろうか。やっぱり中居のシリアスは限界があるんだと思う。自分は「白い影」を見ていないから、あのドラマにおける中居のシリアス度の限界を見て取ることは出来てはいない。また、映画「模倣犯」もテレビで放送されたがスルーしてしまったため、中居のシリアス度がどこまでだったのかを知る由がない。自分の記憶の中での中居のMAXシリアスは「ナニワ金融道」なので、これまた比較対象にはならないのだが。

「白い影」は同じ局の同じ枠で成功と言ってよい数字をたたき出している。しかし今回の「砂の器」は少し傾き気味である。となれば、中居のシリアスの限界は「白い影」までだったのだろう。さらにシリアスであると思われる「砂の器」は、中居のシリアス耐用を上回ってしまったのだろう。となれば、見ている側としては本能的にその「ダメさ」に気付いてしまうわけで。


役者であるから、ある程度までの役柄は「演技力」でカバーできる。しかし、演技にも限界ってものはあるわけで、田畑智子のお嬢様っぷりはなまじの上品女優では敵わない「本物」が宿っているのとは反対に、中居のシリアスってのは本質的に自分に宿っているシリアスの限界値を超えてしまっているのではないかと。最終的に本物には敵わないという話である。