牛丼がなければ豚丼を食べればいいじゃない?それは違う。

最近、ニュースなんかを見てると「牛丼が消える日」みたいな特集をやってる番組を見かけます。例えば「なか卯」や「すき屋」なんかは牛丼の販売をやめてしまったようで、その在庫がなくなった日がXデーと称され密着ドキュメントみたいな形で報道されているのを何回か見た。

事の発端はアメリカ産の牛からBSE(狂牛病)が発見され、その安全性が確認されるまでアメリカからの牛肉の輸入を一時的に禁止したことから始まる。当然外食産業は牛肉の殆どをアメリカに依存しており、アメリカからの輸入がストップした日には通常営業なんてやってられんという事態が招いた結果である。

そんな影響をまともに喰らったのが牛丼屋であり、次々とメニューを牛丼から豚丼などのメニューに切り替える方針になったようだ。今では牛丼一筋ウン十年とか言ってたあの店までもが豚丼とかカレー丼とか出してるくらいにして。


「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉がある。これはマリーアントワンネットの有名な言葉だが、これは食べることに窮している庶民がパンを食べることすら出来ない状況を知らない貴族のマリーアントワネットが「パンが食べられなくても他に食べるものはたくさんある」と思い込んで発言したもので、当時の庶民と貴族の立場の差がよくわかるという側面がある。

ここでは庶民と貴族の生活落差云々という話はとりあえず置いておき、この発言の字面の意味だけ捉えてみると「別に牛丼を食べることができなくても、他に食べるものはたくさんあるからそれでよいではないか」という意味だ。それを実行しているのが現在の牛丼チェーンであり、それに従っているのが消費者だ。

しかし、自分はこの事態を情けないと思う。

なぜか。それは「牛丼を食べる事ができない」わけではないからだ。牛丼は食べることが出来る。ただ、アメリカ産の安い肉で食えないだけであり、国産和牛で作った牛丼ならば食べることが出来るわけで。

本当に牛丼が食べたいならば、和牛で高くてもいいから牛丼を作って食べれば、食べさせればいいのだ。しかしなぜか牛丼チェーン店はどこもそのようなことをしようとはしない。理由は簡単。コストがかさみ、その分代金に上乗せせざるをえないことで消費者が離れるのを恐れたからだ。牛肉の絶対量が少ないのかもしれないが、それも結果的に値段が上がる原因となるに過ぎない。

しかし、本当に牛丼が日本人に愛されているならば、少しくらい高くても牛丼を食べようと思うのではないか?そりゃ1杯280円という価格設定では無理だ。1杯500円くらいになるのかもしれない。それでも、本当に牛丼が食べたい牛丼愛好家ならばそのくらいの我慢はするのではないか?そりゃ「安い速い美味い」がウリの某牛丼チェーン店はポリシーに反するのかもしれないけど、事態が事態だけに仕方ないと割り切ることは出来ないのだろうか?ポリシーのために「牛丼屋であること」を忘れていいのだろうか?自分はこの一連の牛丼騒ぎに対してそこが疑問なのである。

何度も言うが、牛肉がなくなったわけではない。安い牛丼がなくなっただけだ。それをさも今後 2度と牛丼が食えないみたいな報道をマスコミはしやがる。完全に牛丼は安く食べるものだと勘違いしている。これはマスコミのせいだ。

本当に牛丼が世間から欲されているならば多少高くても消費は衰えない。だがしかし、安くなければ売れないという自負が牛丼屋側にある以上、自分たちが一番牛丼に対して自信がないという証拠である。そして消費者はそんな報道に煽られて牛丼ではなく牛丼の価格を消費しているだけである。そんな牛丼ならとっとと消えてしまえ。代替品にされる豚丼にも失礼だ。