生肉のバラード

ユッケで人が死ぬ。


100円で焼肉が食べられる焼肉屋で出されたユッケを食べた子供が死んだ。この文言だけを聞けば「そんな安い肉食べたらそりゃ食中毒にもなるっちゅうの」と思う。実際にこの会社の記者会見を見たら「こんな社長が出してる店なら、まあ食中毒も起こるわな」という雰囲気満載ではあったけども、それよりも重要なのは「現在日本で流通している牛肉に『生食用』は流出していない」ということ。


記者会見ではそのことを盾にして社長がわめいていたけども(往々にして「そういう問題ではない」ということを本人以外は皆知ってる)、消費者はそうと知らずに食べてることが問題だわなあ。今朝「とくダネ!」では牛角がユッケ用に加熱処理した肉をユッケ用に使っているという映像を流していた。まあ多少は安全なのかもしれないが、それでも「元来は生食用ではない肉」を使っていることには間違いないわけで。


たとえば物凄くゲスな喩えを出しますが、「掃除機にチンコを吸い込ませてオナニー」というのが世の中には存在するわけで、それを「独自に安全性を確保しまして、絶対チンコに影響を及ぼさないで使用しています」とは言って使っていたものの、これで実際にチンコに何かがあった場合には「いや元来掃除機ってそうやって使うものじゃないし」の一言ですべてが終わってしまうわけで。元来生食じゃない肉を食べて食中毒になるのは詰まるところ「自己責任」でしかない。あまり好きな言葉ではないが、そう表現せざるを得ない。


本来は消費者としてもその事実を知って注文すべきなのだろうが、あまりに色々な焼肉屋でユッケがふつうに存在するもんだから、そんなこと誰も知らずに注文している。にも関わらず自己責任論になるのではあまりに悲惨だが、同時に日本人の「店で出してりゃ大丈夫」という感覚も地味に怖いと思わねばならんだろう。ビンラディンが殺されて「最高の気分だ!」とか言ってるアメリカ人の感覚の単純さとそう違わない気がする。


そもそも日本人は焼肉屋でいつからユッケを「当たり前のもの」として食べるようになったんだろうか。別に歴史的背景を探ろうとか大げさな話じゃないんだけど、自分が小さいころに「ユッケ」というメニューがそこらの焼肉屋で食べることが出来たという記憶はあまりないのだが。小さいころから焼肉屋に頻繁に行っていたかというとそういうわけでもないんだけど。ただ、少なくとも子どものころに「ユッケを食べる」という感覚はなかったと思う。それは単純に自分がユッケも知らない田舎者だったのか、それとも今の子どもがユッケくらい当たり前という感覚なのかは分からない。


少なくともユッケは「そこらの店で食べられるようなもんじゃない」ということは改めて認識しなきゃいけないと思う。すべてが「生食用」じゃない以上は、食べることに関して何らかのリスクを負わなければならない。そのリスクが値段によって分散されるというのも理屈としてはちょっとおかしいんだが、100円の肉のと2000円の肉のでは、そりゃ2000円のほうが衛生管理にしても仕入先にしてもしっかりしているだろうというのは間違いとは言い切れないないだろう。


肉の質といい衛生管理といい、値段が高いほうがしっかりしている(らしい)。この仮定に基づいてユッケを食べる必要があるつうことだ。ユッケが安く食べられる時代は終わった。つうよりハナっからなかった。今からこう認識したって遅くない。


ただそうなった場合ですら、「ノーパンユッケ4500円」ではノーパンのほうに4000円くらい持ってかれているので食べないほうがいいとは思うが。つうかいまだにあるのか「ノーパン○○」。30代以上じゃないともはや分からないこのネタ。いや一応まだ20代なんだけど。