「うたばん」のソニンに対する扱い

本日の「うたばん」は3人の女性アイドルなり歌手なりが登場したわけだが、構成としては非常によく出来ていた。しかし、そこに悪意を感じずにはいられない。

最初に出てきたのは松浦亜弥。現在のアイドルヒエラルキーにおける頂点に君臨する人物である。当然にその扱いは良い。そんでもって次がソニン。その波乱万丈な芸能生活に更に拍車をかけるような展開に。最後に出てきたのは安倍麻美。ご存知安倍なつみの妹である。歌も上手くなけりゃ踊りが上手いわけでもなく、その強大なコネと投資された資金の回収のために働く日々(あくまで私見だが)。

まあTUBEも出演していたのだが、今回あまり関係がないので割愛させていただいた。

今回、ソニンを主軸に番組は構成されていたわけだが、自分はどこに「悪意」を感じたのか説明していく。

まず考えていただきたいのは、今回のソニンの部分で放送されたVTRである。日本各地でストリートライブというかゲリラライブというか、100本をこなしてきたようだ。その様子がかいつまんでではあるが放送される。しかし、大事なのは「ストリートライブ100本」ということではない。本当に大事なのは今まで(ドミノ・マラソン)同様に挫折→復活という構図である。本当にVTRとして必要なのはこの部分だけで、ざっくばらんに言えばこの構図が成立すればドミノだろうがマラソンだろうが、そしてストリートライブだろうが何でもOKだったはずだ。あくまで「ものの流れ」というか「はずみ」というか、そんなところであろう。ただ、和田氏が一枚かんでいるので、そこらへんはちゃんと意味として成立するものを用意したのであろうが。

で、VTRでは一応起承転結があり、最後はライブで終わる。本当は「ソニンストリートライブ 100本」という企画としてはここで完結なのである。ここで終わればただのドキュメントなのだ。ただし、「うたばん」という番組はドキュメントではないから、ここで完結はしない。

「うたばん」としては、この起承転結のついたVTRは全体で「フリ」なのであり、番組におけるソニンの出演部分ではまだ起承転結がついていない。そこでMCの石橋と中居がトークを転がして最後に「オチ」となる「結」を持ってくるのである。
分析すれば、まずVTRに入る前のトークが「起」である。VTRが「承」。要するにここまでが「前フリ」。そしてソニンのライブの苦労話を全く聞かないで台本に書かれているスタッフの名前を読み上げたり、石橋が中居の「砂の器」の演技を真似るのが「転」ですよね。最後にソニンが泣いてしまうことで「結」である。

結局、何故ゆえにソニンの放送部分がこのような構成なのかといえば、そこに「結局ソニンは報われない」というテーマがあるからだ。その結論(オチ)に持っていくために、ロケと企画はばっちり作りこむ。ここを大真面目にやらないとオチが生きてこない。言い換えれば「振り幅が大きくなければ、オチが生きてこない」ということだ。VTRはとてもマジメなのに、それを全く無視される、報われないということでソニンの放送部分はオチて完結させているんです。

要するに、ソニンはこのような番組の構成など関係なしに自分に与えられた困難を必死で乗り越えてきたのにも関わらず、周りの大人たちが意図するところは、そんなソニンの弱点克服などではなく実は全く別の部分にあったっていうことになる。

さて、ここまで読み進めたアナタは、この番組構成に悪意を感じただろうか?そうでもないですか?それは人によって様々でしょう。ソニンに思い入れがあればあるほど、このうたばんの構成に納得できない部分があるかもしれません。しかし、自分が悪意を感じるのはこの部分ではないのですよ。


もう一度思い出してほしい。今回の放送のゲストを。ソニンの前に松浦、そしてソニンの後に安倍麻美

この出演者は偶然かもしれないが、その放送順は偶然ではなく故意である。とすれば、やはりそこには作為的な構成を感じる。松浦はソニンの曲「カレーライスの女」にも歌われていたりもするソニンがライバル視する人物である。まあライバル視というのは一種のネタ的な部分もあるが、意識していることは間違いない。そんな松浦がソニンの前に出演し、石橋が作ったカツ丼を喰らい、堂々のお姫様扱いされるのである。そしてそのお姫様待遇の後に放送されるソニンの現状。あまりに本人に、そして視聴者に現実を思い知らされる構成。

しかもソニンの後に出てくるのが安倍麻美。大した実力もないくせにのうのうと歌うし、扱いもよい。ソニンが歌うことにあれだけ苦悩したあとに放送される炭酸の抜け切ったような振り付けで歌う安倍麻美。もうバカらしくてやってられない。自分以外にもそう思った方は少なくないのではなかろうか。

これって実はソニンの現状を前後の出演者によって更に浮き彫りにしようとしたのではないだろうか。

番組の構成としては、ソニンの部分だけでも「起承転結」を完成させることで、ソニンの厳しい現状をネタとしているが、更に番組全体としてもソニンを相対的に浮かべることで、その印象を強烈にしているのではなかろうか。もちろん、その「強烈な印象」が持つ意味はソニンに対するエールではなく、エンディングに再び流れた「石橋の『砂の器』の中居の演技のまね」の面白で落とす振り幅の増幅である。最後までソニンを軸として番組としてのお笑いを貫徹させたのである。

実際、ここまで巧妙にしかもきっちりと笑いのツボを押さえてくる構成は「お笑いの見地」としては見事としか言いようがないのである。だがしかし、ソニンを応援する立場からしてみればこの扱いは悪意を感じずにはいられないのである。あまりに巧妙すぎて逆に強烈な悪意を感じるのです。だから、もう少しソニンが報われる形で放送してやってくれねえかなぁ、うたばんスタッフよ。ソニンが人間不信になる前に。


なんだかカウンターの回り方がわがサイトとしては異様な回り方をしてるんで
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おまえら、「おっぱいがいっぱい」ですか。
情けないような、ある意味正しいような。
まあジャネットの翌日もMEGUMIの乳の話だったんで
検索で飛んできた方は満足してくれたと思います(本当か?画像がなくてブラウザすぐ閉じたんじゃないのか?)