氷川が歌えば商売成立

氷川きよしはとにかく歌う。どこでも歌う。そしてそのことだけで氷川の仕事が成立するところが凄い。

どんな番組だろうが、どんなCMだろうが、氷川が歌わない仕事はない。もちろん本職が演歌歌手なので歌うことで仕事が成立するのは当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、氷川ほどいろんなメディアに出てきては歌っている歌手も珍しいのではないか。

いやいや、それは甘いよ管理人。氷川がレギュラーで出ている「トナリの悩み解決人」では歌ってないじゃないか!と叫んだ「きよ友」を持っているそこのアナタ!その番組を見ているのはたぶん少人数なので黙っていてください。自分は見過ごす事にしました。きよしファンの方、あまり深く追求しないでください。

さて、本題に戻る。氷川は「どこでも歌う」のだが、それと同時に「何でも歌う」のだ。本職の演歌はもちろん、中村玉緒とデュエットを歌ってみたり、ヒッパレのような番組でJポップを歌ってみたり、何でも歌える。勿論歌唱力が抜群であるから何でも歌いこなせるという力量によるところが大きい。歌いたいから歌うというのではなく、歌えるから歌うというのは強みである。

ここまで氷川絶賛をしてきたが、このサイトも開設1ヶ月を迎えたことで気付き始めている方もいるかもしれない。これで終わるわけがない。

氷川が「何でも歌う」と書いたのには、「どんなジャンルの曲でも歌う」という意味なのだが、それは別に他人の曲に限ったことではない。自分の曲でも結構好き放題(といえば聞こえは悪いかもしれないけど)やっている。

氷川が今年になって出した新曲「黒豆ココア イソフラボンジュール」ではなく、「きよしのドドンパ」であるが、ドドンパですか。以前に「きよしのズンドコ節」という曲を出したのは皆さんも既知であると思うが(何気にあの曲が好きだったりします)、その流れを汲むかのようなこの「ドドンパ」、どう評価すべきなんだろう。

勿論、自分は音楽評論家ではないから、この曲のここがどうだとかいう話が出来るわけではない。してもしょうがない。ただ、「この曲がどうだ」ではなく、「この曲を出したことによる次以降の曲はどうだ」という話は出来るのである。「ズンドコ節」だけではどうにも評価ができない感じではあったが、この「ドドンパ」発売によって、氷川が昔の音楽ジャンルをカバーしてくという流れを確認することができるようになった。

となれば、次に氷川が手掛ける「昔の音楽」は何か。これに尽きる。先週の「たけしの誰でもピカソ」に氷川と吉幾三が出演していて、このドドンパの話になった時に吉が「自分はオッペケペ節出します」とジョークを言っていた。しかし、この発言案外痛いところを突いているのではないかと自分は思った。「オッペケペ節」というのは、川上音次郎がやっていたパフォーマンスのことで、いまや歴史の教科書の文化の事項で出てくる芸能である。これを氷川サイドが見逃すだろうか。

「きよしのオッペケペ節」。悪くない。むしろ来年はこれなんじゃないかと錯覚させられる。悪い冗談のように聞こえるかもしれないが、「氷川が歌えば商売成立」とはまさにこのことで、一見悪ふざけのような感じでも、出してしまえばそれが商売として成り立つのである。だって、「ズンドコ節」だって、決して最初にタイトルを聞いたときは「何じゃそりゃ?」と思ったでしょ?慣れって怖いわー。

ただ、「オッペケペ節」って演説みたいなやつだったはず。そこをどう調理して曲にするかがスタッフの腕の見せ所か。いや、オッペケペ節はないのか。普通に考えたら「きよしのブギウギ」とか、そんなとこだろうな。ただ、自分の確信としてはこの「音楽伝承シリーズ」はまだ続きがあるということで。


どうでもいい話ではあるが、氷川が「めちゃイケ」に出ていて、そのコーナーは「ウマイムウマイム」という目隠しで料理を食べて当てれば食べられるが、外せば岡村独り占めというゲームなのだが、ちっとも面白くない。あの面白さを具体的に説明できる方募集。自分の見解としては、「ぐるナイ」において「ゴチになります!」のレギュラーをクビになった岡村の腹いせ企画だったと思っているので、ゴチメンバーに復帰した今、あのコーナーは早急にやめるべきではないかという判断。