特にタイトルもなくうわ言

今もっともテレビを見て辟易するのが年賀状のCMである。そう、「友情・愛情・年賀状」だ。

どこの者ともつかない怪しい若者がラップで年賀状の良さを語ろうとしているのだが、まったく年賀状の素晴らしさが伝わってこないのが凄い。あのレベルまで達するのには相当の努力が必要である。

まあ、簡単に言えば「努力のしどころを間違っている」ということなのだが、選挙の時といい、どうしてお役所系のCMは若者に媚びようとして失敗を繰り返すのだろうか?本当に解せない。総選挙の時も怪しげなロックグループが選挙に行こうというポスターになっていた。あれを見て選挙に行こうと思う若者はいない。

そう、「若者よ、選挙に行ってくれ」だとか「若者よ、メールじゃなくて年賀状を書いてくれ」という必死さだけは伝わってくるが、どうにもこうにも空回りなのである。なぜあんなCMを作れる財力があるならもっと「製作」に重点を置かないのだろうか?そこをケチってどうするんだと。

また、紅白の時にも力説した(つもり)なのだが、なぜ若者に媚びるんだと。年賀状、確かに自分も数年前から書かなくなった(それは受験というきっかけがあったのだけれど)。かといってもらえば嬉しいものであることに変わりはないし、一応毎年数枚ではあるが自分も作っている。やっぱり一昔前までは年賀状をもらうのが当たり前だったのだから、そこらへんをもっと強調すればいいんじゃないかと。なぜ「友情・愛情・年賀状」なんだと。

確かにこの日本を背負うのは若者であるし、若者が続けなければ年賀状という風習も途絶えてしまうのかもしれない。ただ、自分が現実問題として考えた結果、社会人になると年賀状が一種の義務となる部分も見受けられ、そう簡単になくならないのではないかとも思ったりして。年々需要が減っていくのは仕方ないにしても、その程度で甘んじておくべきじゃないか、年賀状よ。

鉄拳の週めくりカレンダーの良さがわからない。日めくりならまだしも、週めくりて。鉄拳のネタは連発で食らうから面白いのであって、断続的に出されても「ああ、そうだね」でお終いである。鉄拳のネタを一枚だけで笑える人は彼のネタによっぽど寛容な人であると言いたい。

また、「あんまり売れなくていい」とか言ってるわりには本を出しすぎだと思うのは自分だけだろうか。

おしゃれカンケイ」にやたら政治家が飛びつくようになったのは、古館がNステに登板する前になんらかのコビを売ってるとしか思えない。古館サイドにせよ、政治家サイドにせよ。

おしゃれカンケイ」にマルシアがゲストで出てきても今なら誰も不思議に思わないような気がする。出演者だったんだけど。

猪木祭りがピンチらしいな。こうなりゃ猪木が戦えばいいんじゃないのか。