たけしを知らない子供たち

今日電車に乗っててボーっと風景を見てたら、先日放送された「いつみても波乱万丈」で熱唱するテツandトモの姿が頭に浮かんだ。彼らはもともと演歌歌手志望(テツ)と役者志望(トモ)だったのだが、どういうわけか今「お笑い」としてテレビに出演して人気が出ている。

彼らの人気がバブル的なものであるのは否定しないが、彼らの「芸」としては完全にひとつのジャンルとして完成されていると思う。だから、20年後テレビをつけると、今より動かなくはなっているかもしれないが、お笑い番組の大御所として「なんでだろう」をやっている可能性は大きい。堺すすむの「なんでかフラメンコ」の後継ぎのような感じがしないでもない。

なぜこんな話を頭にもってきたかといえば、テツトモがテレビに売れたことがきっかけでデュオ歌手に転身する可能性があるからだ。そうなっても特に違和感を覚えずに10年後紅白で演歌なんかを歌っているのかもしれない。10年後には10年前の姿が想像できなくなっている可能性がある、という話である。

そういう意味で、ビートたけしこと北野武はその典型なのかもしれない。たけしと言えば、別に自分がここで説明なんてしなくてもいいくらいの大タレントである。もちろん、お笑い芸人としてであり、映画監督としてではない。もちろん監督としても評価の高い人物であるのだろうが、自分にはそういう評価ができない。

というのも、自分自身北野武監督作品というのを見たことがないからだ。もともと映画はあまり見ないし、北野監督作品を「面白そうだから見ようかな」と思ったことがないため、今までひとつも作品を見ていないという状態である。

見てもいないので、北野作品をどうこうと批判するようなことはできない。見てたら何がしか自分の主観に基づく感想くらいは言えたのだろうが、そうもいかない。ただ、現在撮っている「座頭市」で主演も兼ねている北野監督の金髪はいかがなもんなのか、とくらいは思うけども。いくら勝新太郎座頭市とまったく別物にしたいとはいえ、それが金髪ってのはちょっと安易だな、という感想くらいか。意味ありげでなさそう、という部分でも。

さて、今までは「北野監督」と表記したが、やはり「たけし」のほうが落ち着く。やはり自分にとっては「ビートたけし」こそが本来の姿であり、その姿に偉大さを覚えるからだ。監督として「金獅子賞」を取っていようと、自分にはあまり関係ない。

自分のお笑いに関する原体験を考えると、「俺たちひょうきん族」の後半くらいからの記憶になる。漫才ブームがピンポイントではない。そして「ひょうきん族」にしても、裏番組の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」のほうを見ていたせいで、ひょうきん族の記憶というのは皆無に近いのである。それでもたけしっていう人間がいかに面白い人だったのかというのは、それ以降あまり自分からお笑いに走ることが減っていったたけしからも感じることはできた。

たとえば「天才たけしの元気が出るTV!」とか「ビートたけしのスポーツ大賞」とか「風雲!たけし城」とか「スーパージョッキー」なんてのもある。挙げていけばいくらでも出てきそうである。その中でも「北野ファンクラブ」などはやはり真骨頂な感じもしたなぁ。そんなに見たわけではないけども。

そんなたけしが最後に笑いの炎を燃やそうとしたのが「神出鬼没タケシムケン」だった。タイトルのごとく志村けんと組んで色々とコントなどをやったのだが、結局数字が取れずに沈没してしまった。これの終了とともに、「笑い」という部分においてたけしがその本気を見せるような番組が無くなってしまった。たけしの「笑い」が好きな人にとっては痛いと思う。

ただ、「笑い」の感性というのは衰えるもののようだ。たけしはおそらくピークを過ぎているのだろう。ただそれでもそこらの芸人が敵わないほどには面白いし、できることならたけしの笑いを一年に一度は見てみたい、と思うのである。しかし最近のたけしのテレビ番組はどれも「映画の制作費を稼ぐ」だけのものに過ぎないようだ。

こんな長ったらしいマジメな話を続けているが、もう少しだけお付き合い願おう。

そこで、ふと思う。「今の子供たちは北野武という人物をどう理解しているのだろうか?」と。今の子供はそもそもたけしを見ていないかもしれない。今のレギュラー出演の番組を挙げると「世界まる見えテレビ特捜部」「TVタックル」「誰でもピカソ」「アンビリーバボー」「こんなはずでは!」とまあこんなとこか。いずれもバラエティではあるが、「まる見え」を除けば、視聴者層は若干高めであろう。子供が好んで見る番組でもないようだ。となると、たけしをテレビ画面から見る機会自体あまり多くないということになる。しかもたまに見るとしたらワイドショーかなんかで映画監督の話とか。バトルロワイヤルのイメージもあるのかも知れない。

そこで思う。

もうビートたけしは「お笑い」の人だってことを知らない子供がたくさんいるのではないか?

実際どうなのかは知らない。今の子供だって「ツービート」こそ知らなくても(自分もリアルタイムで見たことはないし、実際テレビでツービートの漫才をしっかり見た記憶がない)、たけしが「お笑い」の人であることくらいは理解しているのかもしれない。ただ、それは直感ではなく、理屈として知っているだけなのでは?と思ってしまう。

それというのも、ここ最近で「面白いたけし」を自分でも見た記憶がないからだ。最後にたけしを「面白い」と思ったのは1年前の「ゴールデンアロー賞」のコメントで、マジメな顔してコメントし終わった後に画面が引きになったら、パンツ一丁だったというときである。それも、たけしの「芸」ではなく、いわば「飛び道具」による笑いなので、正式には「面白いたけし」ではないのかもしれないけど、そのくらいの記憶である。

結局、たけしがお笑いであることを知らないというのは「不幸」なのではないか、ということである。きっとたけしが凄く偉大な「お笑い」であることを知らずに「なんでこの人はテレビに出てるんだろう?」と思っている子供がいたら、それはやっぱり不幸かなあ、と。

でもよく考えてみたらたけしには「コマネチ!」という一発ギャグがある。それに松村邦洋に代表される「バカヤローコノヤロー」というものまねもある。そういう意味では、たけしがお笑いであることの足跡は十分に残っているのかもしれないなぁ。でも、あれって何も元ネタを知らない人が見ても笑えないんだろうか。

あれは「たけし」が後ろに見えるから面白いんであって、その真似や一発ギャグそのものが面白いのではないもんなぁ。いや、コマネチはオリンピック当時には一発ギャグとしての面白さがあったが、いまやそのような意味では用いられないし、そのことで笑う人もいなくなっている。やっぱりたけしがお笑いであることを知らないのは不幸なことだ。

そしてさらに不幸なのは「笑う犬の○○」や「スマスマのコント」が「面白い」の基準になっていることか。もちろん両方とも面白いとは思うけども、あれが「笑い」の「原点」になってるのは世代間較差を感じずにはおれない。

以下雑記
阪神マジックはやくも点灯
今年も「どさくさ便乗ファン」が出現すること間違いなしである。いろんなとこで同じようなことやってそうなので、ここでもこっそりファン名乗りをあげそうな便乗タレントを予想。

井川遥  最近めっきり見なくなったから、ここらで話題作りに。「高原へいらっしゃい」に出てるらしいが、井川は演技に向いてないよ。
矢部美穂  告白本が売れたのかどうかは知らんけど、なんとなく言いそう。ちなみに北海道出身。
長谷川京子  直感。
吉岡美穂  大阪出身だし、本当にファンの可能性も。ただ、別に今は話題作らなくてもいいのかも。
×佐藤藍子  数年前にベイスターズファンとかぬかしてたくせに、ってのも悪くない。

石原裕次郎、17回忌
21世紀の裕次郎こと徳重聡の存在も一緒に葬ってしまったほうがいいような気が。今の活躍っぷりを見れば裕次郎本人もさぞ泣いていることだろう。
今日テレ朝で17回忌の特番放送があるようだけど、徳重がどんなツラして登場するのかをちょっと見たい気がする。酷なもんだ。