三瓶death

サンスポの記事に「三瓶、引退も考えていた」なる記事が掲載。
「別に引退してくれても構わないんだけどなー」とか漠然と思うだけで、それ以上の感想はないのだけども、よくよく記事を読んでみると想像以上に中身がなかったので、ここでその中身のなさを検討してみたいと思う。

「サンペ〜です!」のギャグでブレークしたお笑いタレント、三瓶(26)が一時、引退も考えていたことが7日、わかった。

三瓶の引退そのものが記事になるならまだしも、考えていただけで記事になるほど三瓶って人気者なんでしょうか。

ABCテレビ「ナンバ壱番館」(24日放送、後11・55)で明かしたもので、

明かされても、見れません。

三瓶は昨年、雑誌の読者投票で「来年に消えるタレント」の1位に輝いたこともあるが、現実にも消えかけていた?

「消えかけていた?」って、誰に同意を求めてるんだろうか。この記事書いた人が「消えかけていた」を思ってるんならそれでいいじゃないのか。妙に弱気になってどうする。

「もう辞めてもいいですか?」。あの人懐っこい笑顔の裏で、三瓶が苦悩を抱えていた。

人懐っこいというのは主観だから仕方ないけども、三瓶の目はフジの軽部アナの目なみに笑ってない。

衝撃の告白が飛び出したのは、お笑いタレントらの激動の半生を再現することで人気のABCテレビ「ナンバ壱番館」だ。

だから、ローカル番組なのに「人気」とか言われてもわからん。「激動の半生を再現することで人気」なのは自分が知ってる限りでは「いつみても波乱万丈」のほうなのだが。そして、三瓶の半生って激動というほど激動なんだろうか。


まず三瓶がお笑いタレントになったのは、思っていることを口にできるようになるための“リハビリ”だったことが明らかに。

リハビリで仕事やられてもなあ、と思ってしまうんだが。コンプレックスの克服とか、もっと他に言い方があるだろ。

あと、現在そのリハビリが成功したと本人が思っているかどうかは知らないが、少なくとも自分は三瓶の発言に関し「自分の思っていることを発言すること」と「自分が思っていることだけど表現せずに心にしまうこと」の区別がつかなくなっている印象を受ける。自分の思っていることを主張するのは大事だけども、その思っていることを飲み込むのが必要な場面も多々ある。しかし三瓶の発言で少なからず不快になることがあるのは、そこらへんの区別が出来てないからのように思える。そういう意味でリハビリは半分成功だが、半分以上に失敗であると。

幼いころ、普段はかわいがってくれるおじさんが、酒に酔うと三瓶のことを「デブ」と呼んだため人間不信に陥ってしまったという。

いわゆるトラウマですな。常套手段。昨今は何でも「トラウマ」とか「PTSD」で済む時代になりました。便利な世の中です。子供心に傷つくのは分からないではないけども、それが人間不信にまで到達するのはちょっと弱すぎ。

愛きょうのある三瓶は中学校で人気者になったが、

デブは愛嬌があると思っているのは構わないけども、少なくとも自分は三瓶に愛嬌を感じない。あと「愛嬌」くらいは漢字にしてもいいんじゃねえの。

「どうせオレはデブだから」と子供のころのトラウマから抜け出せなかった。上京後も友だちを作らず、アルバイト先のパン店と自宅を往復するだけの日々を過ごしたが、「自分を変えよう」と決心。“ショック療法”として、お笑いの道を選んだというのだ。

パン店に違和感。パン屋って言わないか、普通。三瓶のエピソード自体は特になし。

そもそも、三瓶が注目されたのは、一昨年夏のこと。若手を発掘、育成する番組に出演し、ショートコントの合間にパラパラの振り付けで唐突に「サンペ〜です!」と踊るギャグが大ウケ。

あの振り付けってパラパラだったのか。それが一番衝撃だ。

これは三瓶本人談なのだろうか、それとも記事を書いた人間の推測(思い込み)なんだろうか、はっきりさせたいところだ。だってどう見ても一般人にはパラパラの振付に見えないあの振りを「パラパラ」と断言するには何がしかの根拠がほしい。三瓶が言ったのならばいいんだけど、もしこれが記者の勝手な推測だったならば「パラパラって見たことある?」と質問してみたい。あ、あと「サンペ〜です」はブリッジじゃないのか。

テレビのバラエティー番組に引っ張りだこになり、

いいともに毎週のように出てたら人気があるような気もするんだけど、本当に人気があったのかと言われるとなぁ。電波少年と同じで、毎週出ていれば気になるというレベルと同じじゃないっすかね。

CMで小泉孝太郎と共演したり、

いまやこれが人気のステータスとして紹介することが滑稽なんですけども。下手すりゃ小泉孝太郎だってこれと同じような記事を書かれても不思議ではないポジションにいるのに、この紹介は変だ。それともサンスポの記者はやっぱいまだに小泉人気があると思ってるんだろうか。どっちにせよ、変。

米歌姫のブリトニー・スピアーズが「ブリ・チャン・デス!」とマネしたほどの人気者に。ただし、雑誌の読者投票では「来年に消えるタレント」の1位に選ばれたことも。

これは判断材料としては微妙な記述である。別にブリトニー本人がヤクルトのラミレスのように「アイーン」や「ゲッツ」を取り入れたわけではなく、あれは「FUN」で藤原紀香が教えたものである。まあ、「当時人気があったから教えた」という部分において間違いではないのだが、世界の有名人までが知っているみたいなスタンスの流行り方ではないということは押さえるべきである。ちょっとこれも恣意的な書き方だな、と。

当時は、ワンパターンなどと指摘する批判も「気にしてません」と笑い飛ばしていたが、実は、「『もう辞めてもいいですか?』って言ったこともある」

誰に?事務所に?それとも客に?自分に?頼むから、主語を教えてくれ。自分の読解力がないのか、それとも。まあ事務所の人間なんだろうけどね。でもワンパターンを指摘するのは事務所の人間じゃないだろ。

「携帯の電源を3日間、切って過ごしたことも」と精神的に追い詰められていたことを告白。

それで仕事は大丈夫だったんだろうか。

しかも、「いまも新しいネタを作るのが辛いんです」と悩み続けているという。

それは「ネタのクオリティ」という意味なのか、単に「ネタ不足」という意味なのかはっきりさせておきたい。おそらく前者なんだろうけど、後者だったらそれはそれで見上げたもんだと思う、個人的に。そこまで徹底してやる姿勢なら買い。ずっとデブネタ。

意外に(?)ナイーブな三瓶は、

この記者は三瓶が図太いと思っていたようだけども、どこら辺からそのような思い込みを?まさかデブは図太いでも思ってるんじゃねえだろうな。

果たして新しいギャグを完成させることができるのだろうか…。


記事は以上で終了である。最後は意味深な文章で締められているが、結局のところこの文章で何が言いたかったんだろうか。三瓶の近況を知らせるというのが一番の目的なのか?

自分の見解はNOである。きっとこの記者、思いっきり三瓶をバカにしてるのではないだろうか。

よく国語の問題なんかで出題される「・・・」の解釈論ですが、自分はここの「…」を「反語の強調」と読む。高校の担任がよく言ってた。「反語は要するに強い否定なんだ」と。つまり、「・・・」の部分を反語と解釈し、それを「強い否定」で翻訳してみるとこうなる。

「果たして新しいギャグを完成させることができるのだろうか、いや絶対に出来ない。無理。だから三瓶は消えます。断言します。」

つまりは、ハナっから「消える前に三瓶に冷や水ぶっかけてやれ」という目的で書かれた悪意のある文章だったのだ、と最後にネタばらしをしているわけですな。自分のような人間が趣味でやっているような文章ならまだしも、スポーツ新聞の記事という不特定多数の人間が読む媒体でやるようなことではない。倫理的に問題アリです。まあ三瓶なのでどうでもいいんですけど。

以下雑記
・幼稚園児誘拐殺人事件の犯人は男子中学生か
トップにも書いたけど、「中学生が幼稚園児を誘拐、殺人」に重きが置かれるのか、それとも「男子中学生が男の幼児にわいせつ行為」に重きが置かれるのかでかなり違った様相を見せるな、この事件。

・事実は小説より奇なり
伊集院光曰く、「俺が想像してたようなああいうサークルの話は、俺らとはぜんぜん違うイケメンがやっている別世界の話だと思ってたけど、蓋を開けてみればその首謀者のツラは俺ら寄りのブサイクだったっていうのは、これまさに『事実は小説より奇なり』だよね。」

ベッカムフィーバーの裏で
なんでブックオフに行くとあんなにベッカムの写真集が売られているんだろう。