金髪風野郎

「MUSIC☆HERO」つう音楽番組の特番が放送されていました。

 

石原さとみとクリエイターの箭内道彦が司会で、旬のミュージシャンであるあいみょん岡崎体育の紹介とライブという、まあ音楽番組としてはオーソドックスな内容。

 

だから番組に関して特に述べるべきことはないのですが(強いて言えば「あいみょん思ったより乳でかい」という「いますぐキンタマ腫れろ」と言われても仕方ない感想があるにはあったけど)、述べておきたいのは箭内道彦

 

自分の基本スタンスとして、箭内道彦は好きじゃない。これはもうどうしようもない事実です。だからこの後随所随所で「好きじゃない」が漏れていたら素直に「ごめんなさい」という案件です。だから箭内道彦大好きっ子の人はこの後読まないほうがいいと思う。まあそんな人いるとは思わないんですけども(もう漏れてる)。

 

さて自分は箭内のどんなところが好きじゃないのか。その説明をするにあたり好例が今回の番組のオープニングで登場した。石原さとみが音楽番組のMCをやるにあたり、箭内から「石原さとみはどんな音楽を聴いてきたのか」という質問。「年齢によって聴いてきた音楽が全く違う」と答える石原。さらに箭内の「歌詞は書いたことがあるか」という質問に対し「物とか物質に乗せた感情を文字化していた」と答える石原。ここまではまあいい。

 

問題はここから。その答えを受けて箭内「そういう石原さとみだから一緒に(MCを)やりたかった」と言う箭内。ウソつけよ。可愛いからに決まってるじゃねえか。たとえ本人が否定しても、断言する。ウーソーだーねー(ゲスニックマガジン西条風に)。そもそもどういう石原さとみなんだよ。そこを説明しろよ。

 

こういう「なんかついている本人以外には全くもってどうでもいいウソ」をしたり顔で言うあたりが好きじゃないのだ。「こういうのをクリエイターって呼ぶんだよ」と言われればそれまでなんだけど、自分はこういう人種がやっぱりダメなのだ。そこはもう好みの問題であり、そういうのがたまらなく好きな人もいるんだから困る。

 

もう一つ自分が分かりやすく好きじゃないのが「いい歳こいて金髪」という点。芸能人には「いい歳こいて金髪」がそれなりにいるので、全員好きじゃないというわけではないんだけど、基本的には苦手。だってなんでいい歳こいて日本人で金髪の必要があるのか、という至極単純な理由。いい歳こいて金髪で自己主張とかどうなのよ、という全くもって非エグザイル的な主張。まあエグザイル一族そんなに金髪多くないけど。何言ってるか分からない人はこっち参照。

人類をふたつに分けると - 投げヤリズム

 

それはともかく「クリエイターの自分は金髪でなければならない」的な感じでもって長年金髪の箭内。基本的にはもう「好きじゃない」を通り越して「嫌い」と言いたいところだ。しかし自分はすんでのところで箭内を嫌いになれない。それはなぜか。

 

金髪のせいかあからさまにハゲてきているのに、ちゃんとデコは出しているから。

 

「ハゲは前髪でごまかす」。紀元前から孔子論語でそのあさましさを説いている(嘘です)。とかく生え際を見られまいとして、前髪をこれでもかといじるのは最後の聖戦ならぬ最後の抵抗だ。

 

これで箭内が前髪をこれでもかといじくり倒して金髪にはするけどハゲはごまかす、というスタンスなら自分はバニラの宣伝車に乗って「やーない、やない、抵抗中」とススキノあたりを喧伝したいところだ。しかし箭内は前髪を思いっきり上げて「ハゲてるんじゃなくてデコが広いだけだよ」とアピールしているかのようだ。自ら晒すことで予防線を張っているようにも思うが、それでも自分は潔さを買いたい。すんでのところで憎めない。

 

 

しかしそんな風にちょっと褒めたことを書いているうちにある疑念が沸き上がってきた。それは「箭内道彦所ジョージに寄せているのではないか」ということ。そういやこの番組の箭内は金髪サングラスにラメのジャージ上下。ラフな格好だけど個性的、つう感じ。これでスカジャンでも着ようもんなら、ほぼ所さん。金髪デコ出しスタイルも完全に所さんだ。これはかなりキナ臭い。

 

クリエイターの目指すゴールが所さん。それは趣味と仕事の境目が分からないという究極の生き方。なかなか到達できるゴールではない。所さんのあの出で立ちも究極の生き方をしているという所に免罪符がある。到達していないその手前でのあの姿は「いい歳こいて…」の究極形のようにも思う。箭内はゴールしていると言っていいのか。少なくとも成功者ではあるので断言は難しいんだけど、所さんまで振りきれているわけでもないように思う。けど自分が「好きじゃない」と思ってしまうあたり、自分の中では「違う」んだろうな。

 

色々考えたけど、最終的には「やっぱあんま好きじゃないから、どっちでもいいや」である。結論が出ないものは無理に出さない。