人情か、人間味か

下町ロケット」のスペシャルというか最終話。

 

最後まで見終わって残るのは爽快感ではなく残尿感でした。別に自分の老いを公表しているわけではなく、あれ見終わって何を思ったかといえば「分かりやすい、そして煮え切らない」というがっかりでした。

 

日曜劇場の池井戸潤シリーズは「逆境こそがチャンスだぜ」とピンキージョーンズばりに次々と襲い来る過剰な逆境を克服して深まる絆、そして分かりやすい勧善懲悪で、

「平成の水戸黄門」の名をほしいままにしています。まあ水戸黄門平成も放送してましたけど。それはともかく、分かり易い勧善懲悪ならそれはそれで「まあドラマだしなあ」と思うわけです。そのためには悪役はずっと悪役であってほしいし、しっかり倒されてほしいと思うわけです。水戸黄門で悪代官が更生する話ってあるんだろうか。

 

今回の悪役はギアゴーストの社長伊丹(尾上菊之助)でした。途中まで散々佃製作所の世話になっておきながら、復讐のためにあっさり裏切る。あっさり裏切るところまでは別にいいと思うのです。悪役ですから。しかし最後に都合のいいこと言って助けられてしまう。もちろん話の流れとしてそうなったほうが美しいしハッピーエンドなのですが、それってどうなのと思うのは自分の性格に難があるのだろうか。

 

また、殿村(立川談春)と対立していた農家稲本(To Be Continued)の泣き言に応えて畑の稲全部刈るのも笑ってしまった。いやわかる。分かる分かるよ農家の気持ち(ウエンツ瑛士)。殿村の父親(山本學)が「あいつを助けると思ってなかった」と劇中で述べていたが、それは視聴者全員そう思ったんじゃないのか。稲本都合良すぎるだろ。こういう奴いるけどさ。

 

基本勧善懲悪であり、最終的にハッピーエンドになるのはいい。しかしそのハッピーエンドを強調するために、今まで敵対していた人間に簡単に手を差し伸べる展開はさすがにどうなのか。しかも「悪」を強調するために、出てくる悪役が揃いも揃って畜生じゃないですか。もしこんなに畜生でなければ(単にちょっとイヤなこと言われた、とかなら)、助ける気持ちも分かるんだけども、そうでもない結構な畜生をそんなに簡単に助けるのは、なんか残尿感がある。「人情」の名のもとそこまでされると逆に「人間味」がない。それって本末転倒のような気もするのだけど。

 

別にしっかり懲らしめられろ、とは思わない。けど、必要以上に赦されるのはなんか痒い。続編があるとするなら、たぶん伊丹はまた裏切るし、稲本は平気でトラクター蹴るよ。でもまた赦されちゃうんだね。無限ループ!(粗品風に)