主演という罰ゲーム

「容疑者は8人の人気芸人」を見たわけですが。


バナナマン日村を殺そうとしたのは誰か。本人役で芸人が容疑者を演じるという一応ミステリー。一応容疑者には設定色が用意されており、そこらへんがちょいちょいヒントになっていたんだけども、謎解きを楽しむようなドラマでもなかったような気がします。


何と言っても今回一番可哀想だったのが主演のカンニング竹山。芸人は本人役として芸人で登場しているのに(神主だった狩野英考除く)、竹山だけが唯一「黒田」と役名を与えられた刑事。しかも終始真面目な演技を要求され、ストーリーを回していかなければいけない存在。芸人の存在を否定するようなセリフもあり、視聴者はメタ視点で楽しむことを要求されていたような気がする。


けどこの竹山のメタ視点を視聴者に押し付けることによって、このドラマは何をやりたかったのかがぼやけてくる。芸人でマジメなドラマを作りたいわけでもなく、かといってバラエティに振り切るわけでもなく、中途半端さだけが残る。そしてその中途半端感は最終的に竹山に押し付けられてしまうような気がするのだ。


もし竹山のことを「いち役者」として純粋に見ることが出来た人は「ちゃんとしたドラマ」だと思っていたのだろうが、バラエティ好きであればあるほど、「役者カンニング竹山」というロンドンハーツでのイジリが頭をよぎり、実際に竹山がロンハーのザキヤマよろしく頭部に水をかけられるくだりなんかは、完全にそこらへんの話を意識している。つまり制作側からすれば「竹山なにマジで役者やってんの」という視点も持ち合わせて作っているということ。でも結局「役者竹山」イジリはそこだけで、あとはずっとマジメな演技。正直どこに焦点を合わせていいのかが最後まで「?」なまま終わった。


自分はそこが中途半端だと思ったし、その中途半端さを象徴しているのが竹山の存在だと思った。けど竹山本人に悪いところはなく(与えられた仕事をしているだけなので)、単に「一応主演なのにこのドラマの悪いところを一手に引き受けてしまっている」という非常に気の毒な存在でしかなかった。一番損な役回りの主演。これが出来るからこそ「役者竹山」に価値があるのかなあ。そんな気がした。