認識の問題

鳥居みゆきが「美人芸人」であるという認識は、決して自分だけのものではないはずだ。


「R-1ぐらんぷり」の決勝に残ったこともあり、また「エンタの神様」に出演するようになり一気に知名度が上がった鳥居みゆき。とてもテレビで放送していいとは思えないアングラの雰囲気を漂わせつつその実計算されたネタは見るものの脳天を揺さぶるのである。


で、なぜ鳥居みゆきが面白いのかといえば「やってることが支離滅裂」という要素も然ることながら、自分の中では「あんなに美人なのに狂っている」というのが大きい。美人は得である。何をするにしても美人なら許されるという世の中の風潮。よって美人は普通あるいはブスよりもあらゆる点で苦労しない。こんなことを書けば「美人には美人なりの苦労だってある」と反論されるだろうが、美人が美人ゆえの苦労よりも、非美人が非美人なりの苦労のほうがその何百倍と大変であることに気付いてない。気付かないから美人なのだ。


それはともかく、鳥居みゆきはおそらく顔面偏差値だけでいけば「美人」にカテゴライズされる人物である。顔立ちも整っているし、スタイルも良い。オアシズ森三中のように、ブサイクを売りにする女芸人がいるなかで、鳥居みゆきは明らかに美人だ。もっと言えばお笑いに向いていない整った顔立ちなのである。そんな彼女が不気味に見えるメイクを施して支離滅裂なネタを繰り広げるからこそ、そのギャップが面白い。「なんでこの娘はこんなことになってしまったのだろう」と。


鳥居本人から言わせれば、お笑いをやるのに整った顔立ちは不要と言うのかもしれない。けど、鳥居のあの芸風は単なるブサイクな女芸人がやっては笑えない(というか本当に不気味で芸に見えない)わけで、あの容姿だからこそ映える芸のような気がする。


というわけで、鳥居が美人であるというのは鳥居みゆきという芸人を語る上で非常に重要な点であるように思う。だからこそ自分は「鳥居みゆきが美人である」というのは共通認識だと思っていた。


そんな美人の鳥居みゆきを「おネエ☆MANS」はいつものメイクを落として美人に変身させていたが、これって「そりゃ美人になるだろ」と誰しもがテレビの前で突っ込んだんじゃないかと思うのだが、どうなんだろう。それって面白いのだろうか。もちろん「可笑しい」という意味の面白いではなく、英語でいけば interestingのほう。


美人に変身した鳥居みゆきが見てみたい、という願望はある。だから自分はこの番組を見た。事実物凄い美しかった。しかし美しくなった鳥居は一言も喋ることなく終了。美人になったまま「ヒットエンドラーン」とかやると思ったのに、そういうオチは一切なし。美人鳥居みゆきのままで終了。なんだかよく分からない。


「おネエ☆MANS」という番組は主に女性をターゲットにした番組であるから、普通のバラエティのように美人のメイクを施された鳥居が、その美人を壊すかのような自身の持ちネタを披露するというオチが不要であるというのは分かる。「おネエ☆MANS」を見ている女性にとっては、鳥居が美しくなること自体がオチなのだ。でも、最初から美しくなることが分かりきっている女性が美しくなることがオチというのは、どうにも腑に落ちない。


たとえば普段はあまり美しくない女性が美しくなる、というのなら多少は話が分かる。そのメイク方法や衣装のコーディネートで印象がガラっと変わって変身するというのは、女性にとってやはりカタルシスがあるものなのだろう。即ちそれがオチになる。けど、鳥居の場合は最初から美人なのに美人に変身したところで、そんなに面白い話じゃないだろ、と自分はひとり頭の中に?が浮かんでいた。


そして気付く。「おネエ☆MANS」を見ているような女性は、鳥居みゆきが美人芸人だという認識がないのだろうということに。


自分にとっては鳥居が美人に変身するという結論は「当たり前」のもの。オチが予め表示されているネタを見るようなものである。ただ、それは「オチがそこにある」という認識があって初めて「オチが予め表示されている」と分かるわけだが、そこにオチがあると認識できなければ、そのオチに対して一定程度の驚きがある。つまり鳥居が最初から美人という認識がなければ、鳥居のメイクを落としてちょいとメイクを施せば美人になるということが予見できない。だからこそ、鳥居が美人に変身することが「驚き」になるのではないか、と。


もちろんIKKOの本職メイクを否定するわけではないし、そりゃ普通に化粧するよりは格段に美しく仕上がっているのだとは思う。しかし鳥居の場合普段のネタ用のメイクではなく、普通の女性の化粧を施せばある程度雑であっても美人になってしまうという認識があれば、鳥居が美人になったって何ら不思議じゃない。それより鳥居が美人に変身!と騒いでいるほうが不思議だった。


そりゃ自分の認識ひとつで物事が動いているわけではないが、鳥居みゆきのお笑いの根幹をなすのは「美人であること」だと思っていたから余計に、鳥居みゆきがそもそも美人であるという認識が少なくとも「おネエ☆MANS」からは見受けられなかったことが自分には軽くショックだった。