勝ち負け以前の問題だ

クイズ!ヘキサゴン」が「芸能界勝ち組負け犬決定戦」だそうで。

別にこんなタイトルつけんでも普通にやりゃあいいと思うんだけど、何かにつけて大会にしたいんでしょうか。きっと出場者にキリコとかワッコさんとか光浦とかいたから、彼女らを総称したいだけなんでしょうか。どっちでもいいんですが。

それにしても、勝ちとか負けとか、何かにつけて言い出す人ってのはいるわけで。なんでまたそんなに勝ち負けに拘るんですかね。自分は共産主義者ではないので、資本主義社会において勝ち負けが生じることに疑問など感じはしませんが、あまりに勝ち負けに拘っている人を見ると、自分は勝手に「ああ、この人は可哀想な人だ」と思うことがしばしばあるわけで。

しかし、そんな事は今回どうでもよろしい。勝ち負けなんぞ勝手に言っていればいいんです。ただ、やたらと番組中で「勝ち組」とか「負け犬」とか言ってましたけども、そもそも「勝ち組」の反対は「負け組」であって、「負け犬」の反対に「勝ち犬」とは言わないけどもなんでこのふたつが一緒になっているんでしょうか。特に耳ざわりがいいわけでもなく、どのような感覚でこの二語を並べたのかに、自分は疑問を感じずにはおれないわけです。

卑しくも毎日何がしかの文章を書いている自分にとって、「いかにズレのない言葉を使うか」ってのは課題になっているわけです。自分は特に文章が上手いわけでもなく、かといって語彙が豊富なわけでもないので、自分の思っていることをいかに正確に伝える事ができるかが重要だと思っているわけで。もちろん口語体の文章だから、表現に若干変な部分があってもいいじゃんかよー、とか書くこともありますが、ちゃんと自分の言いたい事が伝わればそれはそれでOKなわけですよ。

だから、語の用法が多少間違っていても、そのニュアンスみたいなのが伝わってくれば何の問題もないと思うこともあるわけです。今回の場合、一応「勝ち組」「負け犬」という用法のニュアンスみたいなのはわからんでもない。ただ、「勝ち組」にはれっきとした「負け組」という対の言葉があるわけで、「負け犬」とは対になる言葉ではない。しかも「勝ち組」「負け組」のほうが一般的に浸透しているのではないだろうか。自分にはこの組み合わせに「必要性」を全く感じないのである。もし巷でこの「勝ち組」「負け犬」の用法が一般的になっているならば、それはもう自分の及び知る範囲ではないので素直に諦めるけども、そうでない限りは「なんだ、このアホみたいな日本語は」と思い切り罵りたくなるわけで。

おそらく今回の「勝ち組」「負け犬」という組み合わせは、単純に流行り言葉の合体でしかない。流行言葉で番組タイトルをつけるのも浅はかだとは思うが、その用法においてマヌケすぎるのは、浅はかを通り越して何か哀しいものすら感じる。誰かこの不自然な組み合わせのタイトルに異議を唱える人間はいなかったのか。

別に「美しい日本語」とか「正しい日本語」を推奨しているわけではないのですが、こういうアタマの悪そうな日本語をテレビで平気で使っているのを見ると、ケツの穴がムズ痒い感じを覚えるのですよ。どうにかしてくれ。


それにしても「勝ち組」「負け組」という概念は物事を白か黒かでしか見ることのできない視野狭窄な判断基準だよなー。「そんなんわからん」って人のほうが多いだろ、実際。