納税なんだよ人生は


2003年の高額納税者番付が発表。
自分はしがない一介の大学生に過ぎないわけで、収入だってバイトで時給ウン百円の世界ですから、納税額が1000万円以上とか言われてもピンと来ないわけですが、社会人の方はこの納税額というか年収というか、この納税者番付を見て毎年何を思うのであろうか。

自分もあと数年すれば社会人としてイヤでも生活せねばならん日々がやってくるわけですが、そうなったところで毎年恒例のこの納税者番付を見て、「自分がこんだけ働いても一生手にすることのない金額をこいつらはヌケヌケと…」とでも思うんだろうか。あまり想像できない。

なぜかといえば、自分が現在それほど苦労して賃金を貰っていないというぬるい環境にいるからかもしれないが、芸能人がこれだけの対価を得ることに対してそれほど不平に思わないからだ。

確かに、現在の不況ニッポンを支える社会の皆様が自分の生活をすり減らしてまで働き、とてもじゃないけど見合わない対価を稼いでいることを考えればそりゃ当人たちからは不平の言葉も出てくるかもしれない。ただ、彼らがいくら労働で神経なり私生活なりをすり減らしても、究極的にはすり減らしていないものを芸能人はすり減らしているわけだ。それはプライベートと呼ばれるものである。

「芸能人にプライベートはない」。誰がこのテーゼを言い出したのかは自分は知らないが、いつのまにかこういう事になっていた。自分は決してそうは思いたくないのだけども、現実を考えるにあたり、やはりこのテーゼはいささか間違ってはいない。卑近な例で申し訳ないが、いくら自分の友人が会社に素泊まりして睡眠時間を削り取られてボロボロになるまで働いたところで、彼にはプライベートが保障されている。もちろんプライベートな時間が保障されている、という意味ではなく、彼が第三者によってプライベートを侵害される恐れはない、ということだ。

プライベートに後ろ暗いところがなくても、それが保障されているのと保障されていないのでは、人間としてやはり何かが違うと思う。それは個人的には一番大事にしたい時間であるし、とてもではないが金には替えがたいものである。いや、別に自分がプライベートで後ろ暗いことをしているわけではないのだけども、その空間なり時間なりを微細であっても侵害されることはとてもではないが耐えられない。

その点、ある意味もっとも「お金には代え難い」ものをお金に換えている芸能人という職業は、才能があってお金がうんぬん、というレベル以前に自分の生活をお金に代えているのだ。それを考えれば、お金の1億や2億、それほど大きな額ではないように思えてくる。「100億の男」というドラマ化もされた漫画があったが、自分の人生を100億で売ってしまった男の物語である。彼は人生を100億で売ったが、芸能人は自分の人生の一部を、1億とかそれ以下の金額で売却しているのである。

もちろん売却するには「普通の人間」ではなく、芸能人として何か持っていなければならないが、それにしても、自分のプライベートを切り売りしてまで納税者番付に載るような芸能人のようにお金を稼ぐことに対して、果たして本当に「羨ましい」と思えるのだろうか。自分はNOだ。そして、その選択をYESと答える事が出来た人間が高額の納税をしているのであって、彼らが不当にそれだけの金を稼いでいるとはやはり自分は思えない。あくまで対価は対価でしかない。稼いでいるのには必ず理由があるわけで。