映像が伝える現実

元来あまり物事を真剣に考えるのが得意でない自分としては、政治のことってのは難しい話なのです。まあ一応20代になっているし、それなりに社会の動きとかは分かっているつもりではあるが、友人とかとそういう話をするかといえばNOであり、そんな話をするくらいなら一人で他の事を妄想しているほうが有意義だと思ったり。

自分はテレビを見ることを趣味と言って憚らないのですが、テレビを見るのは単純に「面白い」からである。別に「funny」の面白いという意味だけでなく「interesting」の面白いもそこには含んでいる。自分にとって興味を多大にそそられるのはテレビである。だからといってテレビに出演しようとかテレビの製作に携わろうとか全く思わない。

まあそんな話はどうでもいいとして、基本的に自分はニュース番組を好んで見ない。それは、ニュースはあくまでニュースであり、それをテレビ的なものとして捉えていないからである。勿論速報性とかいう部分はあるけども、基本的にテレビの報道というのは新聞の報道と同じであると考えている。

だもんで、自分のテレビ世界にはあまり政治が介入しないように、させないようにしている。わざわざ政治などという小難しいものを挿入しなくても、テレビは充分に楽しめる。

しかし、時としてテレビは政治を自分に伝える。今日の3人の人質映像がそれだ。

3人が目隠しをされ拘束される映像。衝撃以外の何物でもない。出来れば見たくない映像、しかしその映像は現実として自分の目の前に立ちはだかる。目をそらすことは出来ない。

3年前の9月11日、自分はたまたまNHKのニュースを見ていた。ビルに飛行機が突っ込んだというニュースだ。そのニュースを報道しながら飛んでいるヘリコプターの後ろでもう一機の飛行機が突っ込んだ瞬間を目の当たりにした。

事実が事実として実感される前に、衝撃的な映像というのは瞬間的に現実を見せ付けられる。そこが映像の凄いところであり、恐ろしいところだ。


3人の日本人が武装した集団に拘束されているという事実。自衛隊を3日以内に撤退させないと人質を殺すという声明。しかし政府は「自衛隊人道支援のために派遣しているのであり、撤退する必要がない」と断言した。

人質のために自衛隊を引き上げるつもりはない。政府はこう言ってのけた。政府は人質が助かるか、自分たちで助けるとでも楽観的に考えているのだろうか。それとも、3人の命でアメリカ追従という義務が果たせるなら安い命だと考えているのかどうかは分からない。

アメリカに追従して自衛隊を残すべきなのか、それとも同胞の命を尊重して自衛隊を撤退させるべきなのか、どちらが最善の判断なのか自分にはわからない。ただ、ひとつだけ分かるのは、自衛隊を撤退させなかった時に、彼ら3人の遺体が映った映像を見ることになるだろうということだ。

武装集団は本気。本気なのだ。どうも日本政府が本気でないような気がしてならない。

本気で下した判断が「自衛隊保留」ならばそれでしょうがない。その時に、3人の死体を見なければならないのは我々日本人だ。その覚悟を今から日本人はしておくべきだろう。少なくとも、自分はもう3人の死体を見る覚悟をした。目はそらさない。


テレビが好きな人間の立場からすれば、テレビでわざわざ死体なんぞ見たくない。けど、見る覚悟だけはせねばなるまいという話だ。拘束された3人のうち、ふたりは北海道の人だ。出来れば生きて生還してほしいのだが、どうもその願いは届きそうにない。


本当はこんなマジメくさい話なんぞしたくはないんだけど、今日はやっぱり書いておかねばという気持ちにさせられてしまった。明日からはいつもの下らない文章に戻ります。また、自分の考えを述べるうえで、3人の人質ならびにその関係者には非常に失礼なことを書いてしまったことをお詫びします。