ふるくさいテレビ

あけましたね。何も変わりません。

 

NHKで「あたらしいテレビ」が放送されましてですね。昨年までは「新春テレビ放談」が放送されておりましたが、コロナ禍のさなかに放送されたこちらの番組が取って替わる形で新春に放送されることになりました。

 

でまあ、見たわけですが、昨年までの「新春テレビ放談」を見たときの「自分はテレビをたくさん見ているつもりではあるけど、この会話のど真ん中には決していない」という感覚がさらに加速していくような感じがしました。それというのも、この番組のタイトル「あたらしいテレビ」とは、地上波だけではなく映像コンテンツ一般を指し、それを「あたらしいテレビ」と定義しようとしているからです。

 

「テレビ」とは、地上波テレビだけを指すわけではありません。家庭のテレビ、パソコン、スマホなど、あらゆる媒体で目にする映像コンテンツを上に載せ、映像文化のこれから──<あたらしいテレビ>について考え、深く鋭く語り合います。

www6.nhk.or.jp

そうなると自分はもう「あたらしいテレビ」の住人ではないし、居所がなさそうです。だって地上波以外の映像コンテンツなんて全然見てないもの。YouTubeで見ているものは「アルピーチャンネル」と「東野幸治の幻ラジオ」くらいなものだ。有料配信コンテンツはいまどきひとつやふたつ入会しているのが当たり前なのかもしれないが、はっきり言おう、そんなもの見ている時間などないのだ。自分は地上波の消化だけで手いっぱいなのに、何を有料配信のものまで手が回るというのか。無理無理無理無理。ラジオも聴いてる。仕事の時間が本当に邪魔くさい。

 

有料配信のコンテンツやYouTubeのコンテンツに面白いものがたくさんあることは間違いないだろう。そこを否定するつもりはないのだが、自分は「トータルで地上波より面白いコンテンツなんてあるの?」と未だに思っている。なぜならどんなに頑張っても地上波のみを録画しているHDレコーダーの録画容量が一向に減らないからだ。もし自分の見たい番組が減っている、つまらなくなっているならば、もっとHDレコーダーの負担は減るだろう。減る気配がないっつうことは、まだまだ地上波で自分は充分だ。

 

そして自分は「つまらない番組にもテレビのおかしみがある」と思っているタイプの人間なので、ただ面白い「だけ」のコンテンツにあまり興味がなかったりするのです。甘いものを食べて甘いと思うだけでなく、自分はその中に雑味としての渋味や苦味も味わいたい。渋味や苦味があるからこそ、その甘さが際立つとでもいうのか。

 

カッコつけて書いてみたものの、つまるところ自分は「ふるくさいテレビ」に取り残される人間でしかないということです。十年後には朽ちて消えているかもしれません。ただ自分は朽ちるまで「ミヤネ屋」で芸能人の自殺に対して親身に寄り添うフリをして下世話でしかない様を見て「これこれえ」と思いたいし、そんな内容に怒りを覚えているとテレビで怒るヒャダインを見て「うるせえなあミキモト真珠」と思ったりするのです。

 

正しいもの、面白いだけのものがはびこるテレビなんて何が面白いんだよ。これが目指すべき「あたらしいテレビ」なら、テレビ見るのやめようかな。