禁断の笑い

爆笑オンエアバトル」の6代目チャンピオンがアンタッチャブルに決まる。

昨年末のM1グランプリでも敗者復活から決勝に残り高評価を受けていた彼らが追い風を受けるように優勝したわけだ。自分としてはスピードワゴンのほうが笑ったのだが、まあ妥当といえば妥当か。ペナルティの毛ダムも反則に面白かったけどね。

昨年あたりからの若手芸人ブームはテレビに色々な芸人が出てくるきっかけとなったが、その中でもオンバトは正統派のお笑い番組として貢献の度合いが強い。それというのもオンバトは「面白かった上位5組オンエア」という条件があるがゆえ、つまらない芸人は意図的に放送から排除される。なもんで、結果的に上質のお笑いを提供するということになったわけだ。

その後なし崩し的に若手芸人のネタを提供する番組が増え、お世辞にも面白くない芸人が芸を披露できる場所もできてしまった。もちろん面白い面白くないの評価は主観的なものであるから、一概につまらないとの烙印を押すわけにはいかないが、それにしても酷いネタも多い。

そんな「面白い芸人」探しにやっきになっている今のテレビ業界に対し、「つまらない芸人」であることを逆手に取ったのが「爆笑問題バク天」である。「バク天芸人」と称して、「エンタの神様に見捨てられた芸人」を放送している。ある意味暴挙でもあるのだが、これがなぜかエンタの神様の一部芸人よりよっぽど面白いということになってしまっているから分からないもんだ。

しかも、その面白いが完全に「レールを外れた面白さ」なのだ。今活躍している若手芸人は芸人養成学校出身が多いのだが、その笑いは確実にネタを組み立てて笑いにしていくというある種「計算された笑い」なのだが、「バク天」で紹介された芸人は完全に「計算外の笑い」である。あんなもん計算できるわけがない。

しかし、そんな笑いがよっぽど新鮮に映るのは、最近その種の笑いが絶滅しているからではないだろうか。漫才にしろ、コントにしろ、「笑いどころ」というのがある。もちろんそれは笑わせる側が意図的に織り込むものであり、そこで笑うのはごく自然である。

でも、今回「バク天」に登場した芸人、特に「猫ひろし」という芸人は、そのセオリーを一切無視した笑いの「第6感」を刺激する芸人であると言える。

最近「笑い飯」が新しいタイプの漫才であると評価されているが、今回の猫ひろしに比べたらまだまだ可愛いもんだ。笑い飯は型破りとはいえやっぱり漫才であるが、猫ひろしはもうお笑いの何に属するのか全くわからないんだもの。ただひたすら「訳がわからない」の一点で面白いというのは奇跡ではないか。

その証拠として、猫ひろしのネタを観る前のプロフィールで「自分のネタの見所は?」の質問に対し、「特になし」となっていたことだ。なぜ「特になし」なのかといえば、何が面白い部分なのか本人含め誰もわからないからだ。漫才ならば「ボケ」の部分がわかるし、特徴だって説明することができるが、猫ひろしには無理。説明できない。あれが科学的に説明できたらノーベル平和賞だと思う。

とにかく自分は「猫ひろし」を見て、もうわけがわからず大爆笑してしまった。何で笑ったのかももう分からないし、どんなネタをやっていたかも既に思い出せない。思い出してもしょうがない。


昨今のお笑いブームは上質の芸人を生み出したが、それとは全く関係のない部分でこのような事態が起きているとは。どんなにテンポがよく完成された漫才にしろコントにしろ、猫ひろしのただひたすらに意味不明なネタがそれらを突き破ってしまいうるという不条理は、このお笑い飽和状態にあらたな可能性と絶望を一気に感じさせる「禁断の笑い」であると感じてしまった。

とまあ、何とか「猫ひろし」の面白さについて説明しようと思ったけど、文章にならない。難しい。だから一度は見てくれ、猫ひろし。全くダメか大笑いかの二択しかないです。


余談であるが、「猫ひろし」の芸名って、アレでしょ。所謂「ネコ」と「タチ」ってやつですよね。これ以上は言及しないけど、やっぱり意味が分からないからと言って安易に親とか友人に相談するのはやめましょう。これが原因で変なあだ名がついても泣かないこと。



いかりや長介死去。72歳。
いかりや長介の功績などを今更語るまでもなく偉大であったことは周知の事実。
和田勉が73歳でのうのうとセクハラやってるのに
いかりやは72歳で死去だもんなぁ。世の中はかくも不公平。


ヨモギダ少年愚連隊、ここにきてあと2週も間隔をあけて
引っ張るという荒業に出ました。ここにきての3週間後はあまりにも長い。