その言い訳に本音がある

田中義剛週刊新潮に「生キャラメルは全機械化されており、全然手作りじゃない」とすっぱ抜かれ、叩かれる。


週刊新潮爆笑問題太田の件があるので、全然応援はしていません。むしろ今すぐなくなっても困らないくらいです。一方の田中義剛は自分にとって「観察すべきもの」であり、彼がいくら儲かろうが叩かれようが、自分は一定の距離を保ってただひたすら観察する。そういう対象なので、どちらの肩を持つとかそういうことではないのです。ただ、こういう記事が出た以上ウォッチャーとしては検証せざるを得ないのです。台風で日本が大変な時期に。


週刊新潮の記事を大雑把にまとめると「やたら手作りを謳っている生キャラメルだけども、今年の3月からは「回転式万能練機」と呼ばれる機械を4台導入し、今は一切手炊きで行われていない」というもの。チーズに関する記述はとりあえず省略。


この疑問に対して義剛は何と答えたのか。新潮の記事を引用しながら、検証してみたい。

回転釜は4台入っています。(画像を見せて)これが機械で、銅釜5台分くらい入って、下が火です。フルオートなら、人の手をかけずにと言うこともできますが、うちは違う。火加減はみな手でやっています。そうでないと焦げたり、仕上げの時間がまちまち。


新潮はこれに対して「火加減さえ手動ならそれは手造りっていう主張は無理があるんじゃねえの?」と返す。自分もそう思う。

「これが手造りなら、たとえば世界中の自動車も、1台残らず手造りということになってしまうが」

なんてツッコミまで入れられている。その通りだろう。ただ自分はこのくだりよりも、この後の発言に注目したい。

“手造り”という表記に関しては、コンプライアンス上の決まりがあるわけではない。

これが義剛の本音である。「手造りという表記に決まりがあるわけではないんだから、自分がこれを手造りだと思えば使っていても問題がない」と。しかし義剛ウォッチが長い自分は断言してしまうが「こういう言い訳を思いつけば、何か言われてもこう切り返すことが出来るからギリギリセーフである、ということを分かって続けていた」のだ。こういうところが自分は決定的に嫌いなのだ。普段は商売に対して正直であることを売りにしておいて、いざとなればこういうやり方で逃げる。醜い。本当に醜い。


よしんば義剛が普段から「多少強引なやり方をしてでも、目標のためには手段は問わない」的なスタンスで拡大路線を徹底していれば「まあそういうやり方もあるのかもしれない」と思えたりするのだ。しかし義剛は普段そういうことは絶対に言わない。けどこういうことをする。しかも自覚があって、である。刑法上では詐欺ではないんだろうが、心情的には充分に詐欺だ。


もっと言ってしまえば、今更生キャラメルが手造りだろうが全機械化だろうが、味さえ変わらなければ文句を言う人なんてそんなにいないだろう*1。もはや生キャラメルに誰もそこまで注目もしていない。だから正直に「従業員の負担を減らすためにも、機械化に成功しました」くらいの言い訳でもって機械化したことを普通に言えば良かったのだ。しかし義剛はそれが出来ない。なぜなら「手造りって言っておいたほうが儲かる気がする」と思っているからだ。間違っても「火加減さえ見ていれば手造りの要件を満たしている」からではない。無理があることは本人が一番よく分かっている。けども、弁護士と相談したうえ「法律上“は”問題がない」ことが分かれば、そのまま手造りを謳う。いやあ、信頼できない。


これですぐさまチーズの需要がなくなったり、急に生キャラメルが売れなくなったり、経営が傾くなんてことはないのだろう。しかし普段から義剛に興味がない方々にも、今回の報道で「義剛の商売は基本胡散臭い」ことがバレてしまった。最近分かりやすく調子に乗っていたので、これで義剛もまた「反省したふり」モードに戻るのだろう。ウォッチャーとしては一安心だ。まあ義剛のこういう性根は死ぬまで直らないので、義剛が調子に乗るたびにこういう牽制球を投げていくしかないのだろう。


台風で全施設吹っ飛んでしまえばいいのに。

*1:実際味が変わっている、という証言を記事内ではしているけども