オモローかな

めちゃイケ」でどっきり企画やってました。


普通のどっきりではなく、予めどっきりであることをターゲットにあからさまに示しておいて、その上でターゲットがどのような騙されている演技をするのかというのを楽しむというどっきり。いわばメタどっきりとでも言うのだろうか。


以前に「どっきりワールドカップ」という番組を取り上げた時にも書いたのだが、「どっきり」は世界でテレビ番組において確立されたジャンルのひとつである。特に素人へ向けたどっきりがまだまだ多い。しかし日本ではプライバシーという観点とバラエティ番組の過激さを自粛する傾向から、もっぱらどっきりは素人ではなく芸能人に向けられたものとなった。だからこそ騙され慣れている芸能人に対して「どっきりに騙される振りをする姿を見るどっきり」という一捻りしたどっきりが成立するわけだ。この点において日本はどっきり先進国とも言えるが、一方で前述のように素人に対してどっきりを仕掛けることが出来ない(どっきりに素人が寛容になれない)という点ではどっきり後進国とも言える。


今回の企画は主によゐこ濱口に対してどっきりを仕掛けなれている「めちゃイケ」だからこそ思いついたもの、というわけではなく、いまやどっきり企画のトップランナーである「ロンドンハーツ」では既にほぼ同じような企画(寝起きどっきりにおいて、本当は全て収録されているにも関わらずカメラが回っていなかったと嘘をついて、同じように演技で寝起きをさせる底意地の悪いもの)を行っているし、フジのCSで放送されている「お台場お笑い道」では、いつどっきりに気付くかというていでもって、バナナマン日村とカンニング竹山が延々とどっきりに気付かない振りをして騙され続けながらも笑いを取りに行くという企画が放送されていた。


だから今回「めちゃイケ」が我が物顔でこんなどっきり企画を放送することに関して苦笑したくもなるのであるが、番組としてはきっちり面白かったのだからそこは批判すべきではないんだろう。二番煎じの企画でも面白ければいいのである。ただ、面白いのはフォーマットでめちゃイケの手柄でない可能性も充分にあるが。何より凄かったのは千秋。どっきりだということを察知してからの「どっきりに仕掛けられてますよ」という演技は白眉。天才という言葉でも足りないくらいだ。


個人的に気になったのはジャリズム山下しげのり。いや、正確に言えば山下本人はさほど興味がない。どっきりの中身は「怖い人に脅されて持ちネタを披露する」というもの。どっきりであることが予め分かってしまっているので、怖い人に対してもさほど怖がった素振りを見せずノリノリで持ちネタを披露するさまは「バレバレ」の一言。いかにバカくさくても迫真の演技を続けた千秋の爪の垢でも飲んでおくべきだ。


では自分は山下の何が気になったのかといえば、山下ではなく、その相方でありめちゃイケ構成作家でもある渡辺鐘こと世界のナベアツのほうである。相方として山下のどっきりっぷりを見守っていたナベアツであるが、以前にナベアツは今回山下が仕掛けられた「怖い人に脅されてネタを披露する」というどっきりを、前述の「どっきりワールドカップ」という番組で実際に仕掛けられていたのである。しかも、自分の曖昧な記憶が確かならば、ナベアツが仕掛けられたのも今回どっきりの舞台となった店とまるっきり同じではなかっただろうか。これは違っていたら申し訳ないが、同じどっきりを仕掛けられていたのは間違いない。


自分は当時ナベアツがどっきりに仕掛けられているのに対し「構成作家もやっている人間が、あろうことにあんなベタベタでミエミエなどっきりにマジで引っかかるわけねえだろ」と冷ややかに見ていた記憶がある。カメラが見えていたというめちゃイケのようなあからさまなことはなかったと思うが、それでもほぼ同じだ。それでもってナベアツは完全にビビった姿を装ってネタを披露していたのだ。もし仮にナベアツが気付いておらず同じどっきりを仕掛けられていたのであれば「構成作家なのにそりゃねえだろ」と思うし、気付いていたのであれば今回の山下とは比較にならない完成度であった。


問題は「なぜ同じどっきりを山下に仕掛ける必要があったのか」だ。


ナベアツは構成作家であるのだから山下にどのようなどっきりを仕掛けるかを選択できたはずだ。企画そのものは「どっきりに仕掛けられたふりをする姿」が重要であり、どっきりそのものはさほど重要ではない。にも関わらず、なぜナベアツは敢えて自分と同じどっきりを相方に持ってきたのだろう。もちろんナベアツが過去に同じどっきりを仕掛けられたことは触れられていないので、そこに解答を見つけるほうが困難であるかもしれないが、自分にはどうにも「自分と比較することで相方を試している」としか思えない。


番組内でも「山下(あるいはジャリズムとしてのコンビ)のブレイクを願って」という、山下を試していると取れる表現があったが、自分にはなんだかそれ以上のもっと深刻なレベルでのナベアツの「試験」がそこにあったような気がしてならないのだ。そこにはお笑いとして云々ではなく、本当の意味での冷徹な試験。そこに「オモロー」の欠片はない。


なんだかナベアツはピンでなまじ売れてしまっただけに、ジャリズムというコンビの処遇を真剣に迷っているんじゃないかとすら思える。ジャリズムとしての面白さを知っている自分としては、なんとかジャリズムというコンビとしての隆盛を願うばかりである。