ドキュメントの帰結

仕事を終えて家に帰ってきてテレビつけたら、「NNNドキュメント」やってたんですよ。ついさっきまでですが。


今回の放送の内容は「自衛官の自殺」。自衛官の自殺は他の公務員に比べたら格段に多いんだとか。まあ他の公務員で自殺するような職業といえば教師くらいしか思いつかないのだが(そもそも公務員のようなたいそうな御身分の人がしょっちゅう自殺してたら、民間で働いている人はものすごい勢いで自殺しとる)、自衛官が圧倒的だという。


単純に考えれば「いじめ、カッコ悪い。そのいじめを見てぬふりをする自衛隊、もっとカッコ悪い」と前園ばりに言いたくなるのだろうが、さすがに自分もそこまで単純ではないので「難しい問題だなあ」と思ってしまう。なんだか「いじめ、カッコ悪い」よりもっと単純な結論のような気がしないでもないんだが。


何が難しいかといえば、自衛隊憲法じゃ認めてないけども「ほぼ軍隊」なわけであって、我々の考える、いわゆる「常識」で計れない部分がおおいにあるんじゃないかと思うのだ。いや自分は自衛隊に関わったことがあるわけでなし、友人に自衛官はいるものの別に自衛隊を擁護する気なんて全くないんだけど、やはりそこは「軍隊のルール」みたいなものがあるんじゃないかと思ってしまうわけだ。


もちろんそれが「行き過ぎ」であるからこそ自殺者が出るわけだし、そのことが全然いいことだとは思わない。遺族の心中も察するに余りある。遺族の父親が激昂したVTRは完全に他人事なのになんだか自分まで悪いことした気分になった。それと同時に「ああ、久々に『放送禁止』見たくなってきた」とか完全に思考が飛んだりもしていた。それはともかく、いじめがあることがいい環境であるなんてちっとも思わないが、かといってそういう「イジメ的なもの」が一切ない軍隊って、その軍隊は本当に軍隊なのだろうか?とか考えてしまう自分は間違っているんだろうか。


いじめを肯定したいわけじゃない。ただ、それと同時に「軍隊のルール」を我々の一般常識や法の認める範囲で理解できるのか、という疑問はある。それが度を過ぎた上官のイジメであったとしても、それをすべてひっくるめて「軍隊」なんじゃないかと思ってしまうのだ。もちろん他人事だから言える話でもあるんだろうけども。


ドキュメンタリーはあくまで「作品」であり、製作者の意図がそこに投影される。おそらく製作者としては自分のような受け取り方を意図してない気はするんだが、そういう受け取り方をする人間もいるということだ。


それはともかく、こんなの日曜の深夜に見たら絶対に翌日仕事に行きたくなくなる。だって自殺したくないじゃない。日テレももう少し放送時間を考えたらどうだ。そんな口実を胸に、明日というか今日は仕事を休みたいと思う。単に休日なだけだが。