自殺はやめてください

硫化水素自殺のなにがイヤかといえば、ご丁寧に張り紙してることでしょうかねえ。


中学生がイジメを苦にした自殺が相次いだときは「お前らたかだか十数年しか生きてないのに自殺するしかないなんて判断出来るわけがない。世界はもっと広いぞ」みたいなことを書きました。未だにそう思ってますが、報道が止むとともにそんな自殺が頻発していたことすらも忘れ去られる。未だにイジメで苦しんでいる中学生はいるだろうし、自殺している中学生だっているだろうに、しない。


言うまでもなく「次々に自殺する中学生」に報道の価値はあるけども、ただの「自殺する中学生」には報道価値はない。彼ら彼女らが何かに導かれるかのように連続で自殺するからこそ価値がある。それは中学生の自殺しかり、練炭自殺しかり、そして今回の硫化水素自殺しかり。


マスコミが報道するから自殺する、というのはよく考えたらおかしな話ではある。だって、自殺したら自分で「自殺」の報道は見ることが出来ないのだから。しかし、これら一連の自殺報道を見る限りでは、なんだか自己顕示欲のために自殺しているようにしか思えないから不思議だ。


練炭による集団自殺はまだ分からないではない。それはマスコミが報道する云々以前に、「一緒に自殺したい」という人間が集まって死ぬから。死ぬにしても一緒の目的を持って死にたい、というか死ぬ間際まで他人と一緒じゃないと死ねないという愚かなまで人間の弱さを見せ付けている気がするのだ。死ぬときですら一人じゃダメというのは、自己顕示欲からは遠い場所にある気がする。


その一方で中学生による自殺だったり、今回の硫化水素自殺は自己顕示欲の強いやつがやるように思える。中学生のときには文科省に自殺予告を送りつける輩がいた。自殺したいのか自殺したい自分を止めてほしいのか、はたまた「オレ自殺します。流行でしょ。すごいでしょ」と言いたいのか。自殺予告の場合は結果的に自殺したかどうか不明ではあるが、きっと自殺予告が送りつけられたという報道を見てオナニーでもしてたんだろう。本当に深刻に悩んでいるやつは文科省に自殺予告を送りつける余裕はない。


なぜ彼らは硫化水素という自分だけでなく周囲にも大いに迷惑をかけている方法で自殺するんだろう。簡単に死ねるからだろうか。でも簡単に死ねるかどうかは死んだことのある人間じゃないと分からないわけで、それを実証できる生きている人間は一人もいないのに。不思議でならない。


はっきり言って自殺は迷惑だ。自殺が起きた場所というのは例外なく嫌悪される。自殺が起きた賃貸の部屋は格安になるだろうし、ホテルの部屋なら改装を余儀なくされるだろう。自殺を見つけた人間の精神的ダメージは計り知れないし、自殺の葬儀というのはなんともいえない重苦しさがある。ただでさえ自殺というのは周囲に多大な迷惑をかけるのに、硫化水素に至っては死ぬときにまで周囲に危害を加える可能性があるというとんでもない死に方だ。


周囲に危害が及ぶかもしれないことを考えられないまでに追い詰められて自殺するんならまだ可愛げがある、と個人的には思うのだが、最近報道されている硫化水素自殺はご丁寧に「危険」などという張り紙をしていることだ。何それ。周囲に危害を及ぼす可能性があることを判断できるくらいに分別があるなら、そんな張り紙をする前に周囲に危険を及ぼさない場所に行って死ねよ、と思う。張り紙をする配慮があるなら、張り紙をしなくてもいい場所で自殺する配慮くらい出来るだろ。でもしない。


張り紙という中途半端な配慮をして自殺するやつが多いのは、結局のところ「死んだ自分を早く見つけて欲しい」のエゴでしかない。張り紙をすることで「自分がこの部屋の中で自殺してます」ということを知ってもらいたいだけなのだ。毒ガス注意を喚起しているのではなく、その中の死体の自分に注目してほしいのである。そして死んだあとには「また硫化水素で自殺」の報道をやってほしいのである。なぜなら自殺のニュースの主役は自分。死ぬ間際まで「注目されたい」というエゴ丸出し。救えないよなあ。「生きた証を死ぬことで残す」とでも思ってるんだろうか。


思うに、この種の自殺を食い止めるのに一番有効なのは、自殺したところで誰にも注目してもらえないことを知らしめることではないか。ここはひとつ「張り紙張って硫化水素で自殺したけど一ヶ月誰にも気付いてもらえず」というニュースを流してみたらどうだろう。自殺までしたのに注目してもらえないそんな可哀相なヤツがいる。そう思わせることで硫化水素自殺は圧倒的に減ると思うのだが。なぜなら自己顕示の出来ない硫化水素自殺は彼らにとって意味がないから。その程度の覚悟で自殺を考えていたヤツは助かるし、この程度じゃ揺るがない自殺の信念を持っている人間は何があってもいずれ自殺するだろう。


松本人志が自身のラジオ「放送室」で一連の硫化水素自殺に関して「ちょうどええ時期に、そんなアホが死んだら別に俺はええねんけど」と発言したことが一部で「倖田來未以上の失言だ」と盛り上がっているらしい。ヒマなんだろうな。ちょうどいい時期かどうかは知らんけど、他人に迷惑かけてまで自殺で自己顕示するヤツはアホ以外の何物でもないだろ。そしてそんな奴らが死んだところで松本がどうでもいいと思うのは何も不思議じゃない。どこらへんが失言なのか説明してほしいくらいだ。


硫化水素自殺が自己顕示じゃないというのなら、もっと他人に危害を加えない方法(あるいは場所)で自殺すればいい。ひっそりと崖からダイブして魚に食われればいい。自殺する理由を察してほしいなら少なくとも硫化水素で死んではいけない。報道に流されて自殺する人間は死んでからも謗りを受ける覚悟で死ぬべきだろう。敢えて死人に鞭打つ必要が自殺報道にはある気がする。