そんなに分かりのいいもんじゃないんだ

ありふれた奇跡
視聴率は全然高くなかったんですけど、個人的には非常に面白く見てました。


初回の感想でも書いたのですが、自分にとってはこれが初の山田太一連ドラ(自分の過去ログ読んでたら、2時間ドラマでは山田作品を見ていたことが判明。そんなことも忘れてしまう記憶力です)。序盤は手探りで見ていましたけども、後半は結構楽しんでました。


山田太一作品では常識のようなことを書くのかもしれませんが、そこは山田童貞だったということでひとつご勘弁を。とにかく自分が妙にハマったのは、出てくる人物がみな善人でも悪人でもないところ。やはりドラマってのは見ていて分かりやすいのが面白いですから、登場人物にしてもキャラを一本立てしたほうがいい。ドラマの登場人物を記号として捉えること出来る。


しかし「ありふれた奇跡」に登場する人物は主人公から脇役に至るまでみな「いい側面」と「悪い側面」を持ち合わせていて、ドラマ視聴者という神の視座においても「こいつは善人」とか「こいつは悪人」という捉え方をするのが難しく(というよりそのような峻別をするのが無意味である)、登場人物のキャラクターを一言で説明しづらい。ドラマにおいてはこれが異質ではあるんだけども、こと現実世界に則ってみれば不思議でもなんでもない話ではある。そのもどかしい人間関係が窮屈でありながら、自分には妙に心地よく映った。


このドラマに登場する人物は、各自が信じている「正しいこと」に基づいて行動を起こしている。しかしその「正しいこと」(というエゴ)同士が対立するから軋轢が発生する。別に相手を不幸にしよう、陥れようだなんて思っている行動ではない。善悪二元論の立場でいけばどちらかが必ず「悪」になって、その悪を正義の側が打倒するのが解決策なのだろうけど、世の中で起こっている殆どの「そうでない場合」はどうすればいいのか。そんなことを考えさせてくれる。


善人にしろ悪人にしろ、分かりやすいほうが好かれる。けど本来人間なんてのはそんなに分かりやすく出来ていない。大抵の人間が善の部分と悪の部分をもっており、それらが重層的に重なることで人格が形成されている。こんな当たり前なことが最近のドラマで描かれていないのは、きっと「せめてドラマくらいは現実離れしていたほうがいい」ということなのかもしれないが、それはそれで人間が理解されなくなったということなら、少し寂しい。


というわけで自分は「人間の分かりの悪さ」がこのドラマの魅力だと思うんだけど、同時にそれは短所でもある。ながら視聴で見ている人にはこの「分かりの悪さ」がそのまま「なんかよく分からん」にそのままスライドされてしまうだろう。そんな人たちが「面白くない」と言うのも無理はない。自分だってそんな見方をしていたならばきっと同じ感想を持っているはずだ。


ま、それでもこのドラマの登場人物が少なからず「綺麗事」で動いているのは充分にドラマ的ではあるんです。それでもまだ「人間の分かりの悪さ」を描いているだけ他のドラマとは違ったリアリティを形成しているような気がします。個人的に印象に残ったのは風間杜夫岸部一徳の女装ではなく、井川比佐志、八千草薫の一癖ある老人ふたりでした。☆は3つ半。