世の中は田中義剛に興味がなさすぎる

週刊新潮田中義剛のバッシング記事が掲載されました。『「生キャラメル」人気沸騰! 花畑牧場田中義剛」の甘くない「悪評とトラブル」』というタイトルです。自分も立ち読みで読んできましたが、4ページも使ったなかなか力の入った記事だったと思います。


「力の入った」とは「取材内容に熱がこもっている」という意味ではなく、「なんとかして義剛にケチをつけたい」というマイナス面での力の入りようのことであり、負の方向に関して力が入るということ自体は自分にも身に覚えがあり共感しないでもないけど、記事の中身だけを勘案すれば「4ページ使って叩くほどのもんでもない」という冷静な感想しか出てこない。


記事は近隣住民の苦情というよりほぼ嫉妬に近いやっかみから始まる。まあ最初は借金抱えてヒーコラ言っていたよそ者が、急成長してデカい顔してるんだから、いくら地元に税金を大量に落として貢献しているとはいえ気分がよろしいもんじゃない。嫉妬して当たり前だとも思うが、かといって週刊誌の取材に嫉妬ややっかみをぶつけるのはあまり恰好のいいことではない。もちろん義剛にも悪い部分はあるだろうが、どっちが一概に悪いとは言えないだろう。


次は花畑牧場のブランドを使用した商品の原料が他の牧場から供給されているにも関わらず「手作り」を謳っているだとか、「生キャラメル」「ホエー豚」はいずれも義剛のオリジナルではないという話。これは常識的に考えたら判る話であり、自分からしてみれば「何言ってるんだ」というレベル。あの牧場だけで全てが賄えるわけがないのは当然だし、「自社ブランドを売る」というのも商売上の立派な戦略である。


また生キャラメルのアイディアを他から持ってきたところで全国に広め成功したという実績は義剛のもの。そりゃ生産方法など教えを請うているのだからに商売上の仁義は通さなければならないだろうけども、かといって売り出し方に成功したのは間違いなく義剛の手柄。ここにケチをつけるのはやっぱりやっかみでしかない。


この記事が世間に多大なインパクトを与えたいのであれば「生キャラメルはパクリ!」くらいまで言いたかったところであるが、それが出来ないがゆえに中途半端な批判に終わっている結局は義剛の人格批判に終始している。自分には最初から義剛の人格批判をしたかったのか、それともネタが弱いので結局人格批判になったのか判断がつかない。


いずれにせよこの記事から自分が感じたのは、「世間は自分が思ったより義剛のことを立派な人だと思っていたのではないか?」ということである。


主にTBSが義剛および花畑牧場のことを取材し持ち上げていると、確かに義剛はテレビをうすらぼけーっと見ていれば借金を抱えながらも夢に向かって牧場を経営し、そして生キャラメルを大ヒットさせた「夢をつかんだ男」みたいな印象を受ける。


しかし少しでも番組を、義剛をちゃんと観察すれば、番組の細部細部から義剛の「人間としての下品さ」が垣間見えるわけだ。しかも今に始まったことではない。自分は昨年6月の「金スマ」における花畑牧場特集を見たときにこう感想を書いている。

義剛の牧場にかける情熱だとか、ここ一番でちゃんと実績を残している手腕は評価に値すると思うんだけど、その一方で自分のやってることに関してどうにも下心を隠せない感じが自分はやっぱり嫌いなんだなあ。よく言えば素直なんだろうが、義剛はあまりに素直に下心が見えて下品すぎる。


自分は札幌の20代男性の中なら10本の指に入るほど義剛に興味のある人間でして、花畑牧場の商品がジワジワ売れ出し全国放送で取り上げられるようになる前から、義剛が花畑牧場でどんな活動をしてどんなふうに地元ローカル局でやっていたかを見ている。その時から変わらず「下品な感じ」は一貫している。牧場の商品が売れてから下品になったわけではない。


つまりは田中義剛という人間は「最初から下品」ということだ。これはもう牧場云々の前に芸能人として活動しているときからであり、テレビで義剛を見ている人間なら誰しもが思っていることだと自分は思っていた。だから地元ローカル局ちょい不良オヤジの恰好をしている時も「相変わらずだなこの男は」と何の不思議もなく見ていた。


でも世間は芸能人としての田中義剛が下品だったことも忘れ、いや何も覚えていなかったかのように「花畑牧場社長」の田中義剛を「夢をつかんだ男」として捉え何の躊躇もなく生キャラメルを賞賛し求めているのを見て、自分は「世間は義剛の下品さなんか何とも思ってないのか」と思っていた。


しかし違った。今回「週刊新潮」に改めて義剛の人格批判が記事として出るということは、最初から義剛の人格が疑われていなかったということなのではないか、と考え直す。つまりは「世間の人はずっと義剛に全く興味がなかったから今まで人格どうこうを知らなかったけども、今回売れたことで、そして週刊誌に記事が載ることで“初めて”義剛の人格が下品であるということを知る」のではないだろうか?もしそうならば驚きだ。


テレビの中から滲み出る義剛の下品な感じはよっぽどぼけーっとテレビを見ているか、かなり長い間義剛に興味がない限りは見逃しようがない。けど世間は見逃していたのかもしれない。だとすると世間は長いこと義剛に興味がなさすぎた。じゃあなんでタレントとして活動出来てたんだろう?そして牧場経営者として売れた今ですら、やっぱり世間は彼そのものには興味がないんだろう。だから今更彼の人格批判が記事になる。


この記事を書いた新潮の記者がよほどのバカで今更こんな記事書いたところで誰も驚かないということに気付いてない、という可能性を除けば、世間は未だもって義剛に少しも興味を示していないことになる。だとすれば自分のようにもっと義剛に興味を持ってほしい。そしてテレビの前から彼の下品さを逐一感じ取り、番組でチヤホヤされている義剛を見てイヤな気分になるとか、画面の前で罵詈雑言吐いてみるだとか、それなりの楽しみ方をしてみてはいかがだろうか。


いや義剛は嫌いですよ。嫌いだけども、嫌いだからといってテレビ的な楽しみ方がないわけじゃない。これが「興味を持つ」ということだと思います。