モノノケダンス

アニメ「墓場鬼太郎」が面白くて。


フジが深夜に放送しているアニメ枠「ノイタミナ」で1月から放送しているのが「墓場鬼太郎」。北海道では約三週間遅れで放送している。かの有名な水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」の前身となる作品であり、「ゲゲゲ」のほうとは違ったダークな作風。何より鬼太郎がちっとも可愛くなく、不気味ですらある。深夜放送だからいいようなものの、うっかり日曜朝に放送している「ゲゲゲ」のほうと勘違いして子供が見てしまったら確実にトラウマに残ること確実なのがいい。


声優のキャスティングも「ゲゲゲ」の1作目と同じである。自分の世代からいけば鬼太郎の声は野沢雅子ではなく戸田恵子なのだが、再放送で見ていたアニメは野沢バージョンだったので特に違和感があるわけでもなく。でもやっぱり自分の世代は野沢雅子といえばドラゴンボールの悟空だったりするが。


中身もいいのだが、このアニメはオープニングが素晴らしい。電気グルーヴがこのアニメのために書き下ろした曲「モノノケダンス」とともに、マンガのコマのような映像が流れる。携帯電話で読むことの出来るマンガみたいな動きとでもいうのか。とかく、あの映像の淡々とした感じとテクノの楽曲が相俟って不気味さがあり、このアニメがどういうものなのかを一発で予感させてくれる素晴らしい出来なのである。


アニメの中身もしっかりダークで夜中に見ると気分が滅入ること請け合い。なんだか言い表しようのないもやもやを抱えたままアニメは終了。これですっきり終わればこのアニメは神懸かっているのだが、どうもすっきりそうは行かないのが悲しい。おそらくこのアニメを見た人が100人いれば98人はそう思っているような気がする。アニメが終わるとエンディングテーマが流れるのだが、中川翔子の「snow tears」という曲。これが完全にアニメの雰囲気をぶち壊してくれるのだ。


中川の「snow tears」という曲は至極普通のバラード曲である。普通のアニメのエンディングでこの曲が流れてもおそらく誰も何も文句は言わないと思う。しかし「墓場鬼太郎」のアニメのエンディングとしては全く相応しくない。オープニング「モノノケダンス」の神懸り方を考えれば尚更この楽曲だけが浮いているのが目立ってしまう。


なんでこんな意味不明なことをやったんだろうか、と考えるまでもなくそこには政治が働いているのだろう。中川が寝子(ゲゲゲでいうところの猫娘)の声優として登場するのだが、声優としての出演が先なのかエンディングとして楽曲が採用されたのが先なのか知らないが、そういう事情が介在しているのは考えるまでもない。もっといえばアニメの制作(墓場鬼太郎制作委員会)に名前を連ねているソニーミュージックエンタテインメントのお力添えなんでしょうな。


ただ、これもポジティブな解釈をしてみることにする。アニメの中では鬼太郎が目玉の親父に「父さん、人間って××なんですね」と、人間の滑稽さに皮肉を言うシーンがある。これは妖怪よりも人間のほうが考えようによってはよっぽど恐ろしいというメッセージが込められていると思うのだが、これを中川の主題歌にトレースすると「父さん、人間ってアニメの内容とは全く関係ないエンディングテーマを平気でねじ込むことが出来るほど厚顔無恥な生き物なんですね」ということになる。


さらに解釈してみれば、中川の主題歌は全くアニメの内容に関係ないと思いきや、この主題歌をねじ込んだ人間は妖怪たちよりよっぽど物の怪である、というメッセージなのかもしれない。モノノケダンスで始まり、モノノケの所業で終わると言ったところだろうか。


というわけでエンディングに目を瞑ればかなり満足のいく夜中の30分。見ることが出来る環境にある人は是非ご覧になってはいかがだろう。まあ東京のほうではもう半分話が終わってますけど。