イヤな話

金子貴俊を伯母が提訴。

なんでも金子の自伝ぽいエッセイの中で、伯母さんが金子を幼児虐待していたかのような記述があり、名誉を傷つけられたとかで損害賠償金1000万と出版の差止を請求しているらしい。

リンク先のスポニチの記事によれば、該当部分は「伯母さんは子どものしつけに厳しく」「僕はよく怒られ、汚してしまったトイレの床を拭かされていた」などという記述がそれに当たるらしい。

なんだろう、自分はこの訴えの意味がよくわからない。自分はこのエッセイを読んでいないので、実際にこの部分を読んだときにどのような印象を受けるかはちょっと分からない。けども、このスポニチの記事を読む限りでは、どこらへんが虐待にあたるのかがよく分からない。不思議でならないのだ。

まあ、本当は実際にエッセイを読んだ上でこの訴えに対する批判をしたほうがいいのかもしれないが、この記事を読んだ大多数の人が金子のエッセイを読んでいるとは限らないので、自分の印象に基づく批判を許して欲しい。

「幼児虐待」とは、そもそもどのような行為を指すのだろうか。幼児虐待に詳しいわけではないので、そのような定義があるのかすら知らないわけだが、少なくとも「トイレを汚したから、自分でトイレの床を拭く」というのは虐待に当たらないのではないか。金子がエッセイの中で述べているように、それは「しつけ」であり、「子どものしつけに厳しい」のであれば、そのくらいのことはさせて当たり前のような気がする。

勿論、「そのお前が汚した床を舐めるんだよ!」とか言っていたならばそれは虐待であるが、普通に「自分で汚したものは、自分で片付ける」というごくごく当たり前のことをさせて、何が虐待に当たるのか、自分にはよくわからない。

で、この訴えの不思議なところは、「この行為が虐待に当たる」ということではなく、「誰がこれを『虐待に当たるのでは』と言い出したのか」である。伯母は事実関係を否定はしているが、おそらくこのような行為があったのは本当なのだろう。この事実が即虐待に繋がるわけでなく、伯母は「しつけとして」金子にトイレの掃除をやらせているのである。ここに何の問題もあるまい。伯母だって、当時「幼児虐待をしている」という意識があるわけではないだろうから、両者にとって不整合は何らないわけで。

しかし、今回の金子の記述が「幼児虐待をしたかのような」となっているのは、「誰かが言い出した」に違いないのだ。だって、自分はこの記述だけ取ってみても「虐待があった」などとは言い出さない。どこらへんが「虐待」なんだ?

そして検証したように、伯母には「虐待の意識」があったわけではないように思え、そうなると「誰が虐待という発想を生み出したのか」が問題となる。

ひとつ考えられるのは当然に金子本人だ。何度も断っているが、このエッセイを読んでいないので、金子がどのような文脈でこの文章を用い、またどのような意図でこの文章を書いたのかが見えてこない。もし、このエッセイを読んで金子側に明らかな「虐待された」という意図があったならば、それは金子に問題があるわけで。事実3刷から表現を訂正しているわけで、そのような意図がなかったと言い切れない。

もうひとつ考えられるのは、伯母の近くにいる頭の悪い人間である。伯母本人かもしれないけど。現在の子ども甘やかしすぎの日本で、自分が汚した便所を掃除させることですら「虐待」であると決め付けるアタマの悪い人間が近くに、もしくは読者の中にいたのかもしれない。これを読んだ読者が伯母に対して抗議とか批難とかした可能性もある。その点で金子を訴えているのだとするなば、それは伯母にとっても金子にとっても不幸なことであり、赤の他人のせいで親戚同士しなくてもいい争いをすることになるのだ。


実際に金子、伯母両者の間にどれほど軋轢があったり、信頼関係があるのかは自分はわからない。しかし、この記事を読む限りでは伯母の行為に「虐待」は感じられないし、金子の該当部分の記述だけでは「虐待」を示唆しているとは思わない。

しなくてもいい争いをしようとしているならば、それはとってもイヤな話だ。