ないものねだり

NANAMIっちゅう人は堀北真希の妹らしいじゃないっすか。

 

自分はNANAMIさんのことは一切何も存じ上げません。一応今回の報道で「モデル」であり「アイデザイナー」であるらしいことは分かったけども、モデルとして活動しているところも、はたまた「アイデザイナー」が何をする人なのかもよく分からない。要するに殆ど何者なのかよく分かりません。

 

しかし姉であるところの堀北真希に関してはよく知っている。これを読んでいただければ自分が堀北真希に関して知っていることが全て書かれている。予め書いておくが、初めて読まれる方は読んでから後悔しないように。久々に読み返したが、これは酷い。自分で書いておいて。

nageyarism.hatenablog.com

堀北真希は結婚を機に事務所も辞めている。本人が「復帰するつもりはない」と言っているのだから引退状態だ。もちろん芸能人にはライセンスがあるわけではないので、ある日ふらっと戻ってくる可能性もあるから「休業中」くらいの扱いでいいのかもしれない。ただまあ、戻ってこないんだろうなあという気はする。そのくらい堀北は気高く、ワキは尊い

 

そんな自分のような人間の心の隙間を埋めるかのように妹であるNANAMIさんは登場しました。確かに写真によっては堀北真希の面影がある。さすが妹。二親等だぜ。ただのそっくりさんではない。

 

しかし敢えて言おう。NANAMIは堀北真希ではない!

 

物凄く当たり前のことを太字で言いましたが、少しだけ説明を。

 

今このタイミングでNANAMIさんが堀北さんの妹であることをカムアウトしたのは「うやむやにしていても不自然だから」と言ってますけど、それは「そろそろ堀北真希の妹とバラして注目を浴びておきたいから」ということですよね。全然いいと思います。話題になるものはコロナウイルスでも使えということですからね。堀北真希の妹というトランプゲーム大富豪ならば2くらい強いカードを使わないのは、カッコイイけども勿体ないだけ。存分に使うべきだ。

 

しかしそのカードを今まで使ってこなかったのは危険性も承知しているからだろう。NANAMIさん本人がどんなに頑張っても「堀北真希の妹」という色眼鏡が簡単に消えることはない。堀北真希を凌駕する、あるいは同等の活躍をしてはじめて払拭されるものだ。そしてそれを為すために超えるべき壁はあまりに高い。今までカードを使いたくなかった気持ちも分かる。

 

一方で時間だけは誰しも平等に進む。姉である堀北は引退したので、芸能人としては「あの時のまま」であるが、妹は活動をしている以上「ちょっとずつ歳をとっていく」のだ。女性が美しいまま有名になるならば少しでも若いほうがいい。主に女性から異論はあるだろうが、現実そんなもんである。だからこそカードを切るならば、今のタイミングが正直ギリギリだったのだと思う。姉のイメージがあるうちに、しかし姉のイメージが強すぎても辛い。おそらくこの数年は「ずっとタイミングを図っていた」はずだ。

 

ただ、自分は思う。堀北真希の影を利用するようなこの出方は、やっぱり本人が後々キツくなるだけだ。売れなくても、やらないほうが良かったんじゃないかなあ、と。

 

今後NANAMIさんが消費されるとすれば、それは「ジェネリック堀北」でしかない。堀北真希本人がいないから、より堀北に近いもの、しかも血統が同じという「これ以上ないジェネリック」があればそりゃ、堀北を求める人たちからは重宝される。しかしその重宝のされ方は堀北真希の価値であり、NANAMIさんの価値じゃあないわな。それは辛いことではないのか。

 

兄弟や姉妹は、そこに「同じもの」を求めると不幸になる。真っ先に思いつくのは有村藍里だ。妹は有村架純。姉は姉で決して超絶美人ではないが、普通に生活しているぶんには全然問題ないレベルだった。しかし同じ系統の顔として「正解」というべき妹が存在したものだから、そこに執着するあまり、大掛かりな整形をした。もちろんそのことが悪いとは言わない。しかしどんなに頑張っても有村藍里有村架純ではないわけで、今現在有村架純がいる限り、同じ舞台に藍里の出る幕はないのだ。藍里は藍里のまま「自分が求められるもの」を探るべきだった。兄弟姉妹は似ていても基本は別者なのだ。

 

その好対照が広瀬アリス・すず姉妹である。広瀬すずが世代を代表する女優であることはおそらくそんなに異論が出ない。一方でアリスはすずと比べれば若干ガタイも良いし、ゴリっぽさがある。どちらも美しいが、どっちかと言われればやっぱりすずだろう。しかしアリスはアリスですずと同じ方向を追うのではなく、コメディエンヌとしての才能を開花させた。また脇役でも活躍出来るという強さも身に着けた。すずと同じ方向に向かっていたら、間違いなく腐って潰れていただろう。姉妹は似てはいるが同じではないという良い例である。

 

NANAMIさんは今か今かと、堀北真希の妹であるというカードを使う時期をずーっと見定めてきたはずだ。しかし堀北真希が引退して「ないもの」になったあと、それを公表するのは「堀北真希の代わりになる」という選択の余地のない選択肢を選ぶ作業でしかない。しかも相手は人々の記憶の中で神格化されていく。それを「現在」として別人であるNANAMIさんは受け止めきれるのだろうか。

 

 

偉そうなことを書きましたが、「NANAMIさんのワキは堀北真希のワキではなく、それはジェネリックとかではなく最早どうしようもないので、ただのないものねだりでしかない」という意味です。それだけです。