相対評価

有村藍里が「ザ・ノンフィクション」で自身の整形を告白。

 

北海道では別の「ザ・ノンフィクション」が放送されていたので、まだ放送そのものを見たわけではないのですが、ネットニュースでは報道されているし、有村が自身のブログで整形に関して記事を上げている。

 

有村はブログで整形に至るまでの経緯と心境を述べ、最後のほうに

1mmでも可愛くなりたい。

 と綴っている。整形することはその手段であると言わんばかりに、だ。自分はこれを見てちょっと心が痛かった。

 

個人的な意見を述べれば、有村藍里は決してブスではない。勿論絶世の美女というつもりはないが、そこらへんを歩いていたら「ああ綺麗な人ですね」くらいの印象は持つ。ただ本人がコンプレックスを持っていたように、口元が少し「残念」という表現をされることが多かったんだろう。だからこその整形。しかしこの口元だって「個性」として片づけることが可能だったはずだ。

 

しかし有村にはこれを「個性」と片づけることが出来ない大きな理由がある。それはもちろん妹有村架純の存在だ。

 

有村架純は姉より可愛い。もちろん自分の主観ではあるけども、大手を振って反論されることのないいわば「事実」である。二人が姉妹であるにも関わらずそんなに似ておらず姉藍里がおもしろフェイスであればそれは一つの「個性」と片づけることが全然できた。しかし本当に残念なことに、二人はさすがにちょっと似ている。

 

つまり有村姉妹の関係として、妹はあの系統の顔の「正解」であり、姉は「不正解」なのである。本来美人に正解も不正解もないわけだけど、姉妹という似た顔がいるせいで、有村藍里はずーっと自分の「不正解感」を背負って生きてきたわけだ。これは整形したくもなる。藍里の本音を言えば「妹の顔に整形したい」なんだろう。

 

これを「滑稽だ」と笑うのは簡単だ。しかし自分の身にふりかかることとして考えてみてほしい。身近に「正解」がいて、自分が「不正解」である気持ちを。しかしいかに藍里が架純に近づいたところで藍里は架純にはならず、その差は一生埋まらないのだ。近づいたことをよしとするのか、その差を一生呪うのか。難しい問題である。

 

本当は「顔いじるんじゃなくて豊胸してバスト120くらいになったほうが絶対仕事増えたと思う」ってことを書きたかったんだけど、なんかそんな気分じゃなくなってしまった。じゃあこれ書かなければいいのに、と思うんだけど書いてしまうあたりが自分のダメなところなんだと思う。ごめんなさい、と共にがんばれ有村藍里