勧善懲悪ではなく

「ハンゲキ」つう番組を見ました。内容としては、詐欺師にリアルで騙された人が実際の詐欺師と対峙し、追い詰めるさまを追ったドキュメント色が強い見世物。3時間という長枠であったが、けっこう見応えがあった。まあCMまたぎの前後の重複が若干鬱陶しかったけども。



詐欺の被害者が実際に弁護士と探偵に相談し、詐欺師の素性を割り出す。その上で詐欺師を示談の場へ連れ出し、その非を認めさせて現実的な落としどころを図る。第一の目的は「騙し取られた被害額の弁済」であり、詐欺師を警察に突き出したり、罵詈雑言の吊るし上げを行ったりはしない。実際に弁護士が仲介するような懸案はこういうケースが多いんだろうな、と思わせる。


バラエティ側に寄るならば、「演出」と称して被害者が無暗に激昂してみたり、詐欺師が暴れてみたりと、いろいろ「テレビ的」な要素があってもよさそうなもんだ。しかし今の視聴者はその手の演出に慣れきっているので、逆にこのくらい抑えた演出のほうがリアル感がある。そちらに行きたい気持ちをぐっとこらえたのは最近のフジにしては上出来なのではないか。すごい偉そうに書いてみた。


しかしまあ、この手の番組を見るときに常に自分が抱く不安が「勧善懲悪の難しさ」である。大体の場合、番組は「善」の立場から「悪」に対して不正を暴いたり懲らしめたりと、そういう構図を作る場合が多い。そのほうが分かりやすいし、何より見ていて感情移入がしやすい。自然と番組を見るほうも気持ちが高まってくるというもの。今回の番組も基本的には騙された「善良」な人が騙した「悪い」人に反撃を喰らわせるという構図。


けど、詐欺の難しいところは「騙すほう」はほぼ間違いなく悪なのだけど、騙されるほうは必ずしも「善」じゃないってことなのだ。今回の放送は騙された方は割と可哀想寄りの立場の人が多かったけども(もちろん意図的にそのように紹介はしているのだろうが)、最後にひとりだけ「セレブとデートするだけでお金をもらえる会員制クラブ」に金を払って騙された男性が紹介されていた。ネタとしては弱かったということもあるんだけど、それ以上にこのエピソードを最後に持ってきたことにこの番組の「良心」を見た気がする。


このエピソードを担当したナイツ土屋の心情ベースで紹介されていたナレーションはこんな感じ。「詐欺はもちろん騙すほうが悪いのだけど、今回に関しては騙されるほうも悪いのでは?そんな言葉を飲み込んで土屋は被害者と対面する」。しかもそのあとで、その被害者は「白髪交じりの猫ひろし」と紹介されていた。


みなまで説明はしていないが、要は「白髪交じりの猫ひろしがセレブとデートして金もらえるとかありえないことくらいさすがに気づかなければいけない。これは騙されるほうも悪い、つうか騙されたことを反省しろよ」という番組のエールに他ならない。決して悪口じゃないのだ。これは、エール。Yellです。


詐欺の肝は「弱みに付け込む」ことだ。他人に知られたくないことを秘密裏に済ませたい、生活が苦しいのでなんとかお金の工面をしたい。そこに付け込むことが悪質なのだ。しかしその一方で「楽に金を儲けたい」「上手い話に乗っかりたい」などという人間の浅ましさが裏側に存在することも忘れてはいけない。この番組は明言こそしなかったものの、完全にそういう意図で最後のVTRをぶちこんだのだろう。皆本音として思っていることではあるけど、その一方で被害者に気を遣ってはっきり面と向かって言われることは少ない。だから婉曲的ながらこう言ってあげる必要があるのだ。これは全くもって正しい。


なにも白髪交じりの猫ひろしにだけ言っているわけではない。「結婚」をエサに金をむしりとられる人には「分不相応という言葉を知っているか?」とか、安易にお金を貸してしまう人には「結局自分もお金が欲しかったんだろ?」とかさ。痛いところを面と向かって突くわけにはいかないけど、そういう側面があったことを否定は出来ないんだもの。決して善じゃない。けど、人間くさい。そのこと自体が悪いとは自分は思わない。ただ、金が返ってこないことを承知で相手に差し出す「覚悟」だけが少し足りなかったのだ。


本来であれば手厳しい放送であるけども、「被害者は善!加害者は悪!」とやるよりはよっぽどマシだ。この手の放送を扱うときは正義を盾にして前のめりであるよりは、こういうスタンスのほうがよっぽど信用できる。今後も見てみたい番組ではある。






などと番組終了1分前まで思っていたのだけど、最後に「詐欺」を扱う2時間ドラマ「銭女(ぜにじょ)」の番宣が入って「これのためかーーーい!」とツッコミが入り、なぜスタジオにかたせ梨乃がいるのか、という理由まで判明して全て台無し。いいかげんにしろフジテレビ。